顔 [随筆]
顔は無防備である。
大怪我をして包帯をグルグル巻きにでもされぬ限り、どんな時でも剥きだしである。手や足も無防備と言えなくもないが、手袋があり靴下がある。溶接工事に携わる人など特殊な場合を除いて、我々が無理に顔を隠そうと覆面でもしようものなら、銀行強盗に間違えられかねない。ではないにしても、あまりよいイメージにはつながらない。その場合も目だけは隠すのが難しい。目は口ほどにモノを言ってしまうから厄介だ。
顔は正直者である。
夫が冗談めいた嘘をついても必ずばれる。
「どうして嘘ってわかった?」
「だって、鼻の穴がふくらんでヒクヒクしていたもの」
リハビリの先生は、ときどき私の顔を見ながら膝の屈折運動をしてくださる。どんなに我慢しようとしても、顔は正直に「痛い!」と訴えかけるからだと言う。
電車の中での観察もなかなか面白い。手前勝手な想像が混じってしまうのは勘弁して頂くとして、乗客の顔からさまざまに空想をふくらませるのは私のひそかな楽しみである。
左右に大きく舟を漕いでいる人の顔からでも何かが読み取れる。少なくともそれが健康な眠りであるかどうか、顔色や生気の有無に正直にあらわれてしまうからだ。
顔は正直者だが、同時に裏切り者でもある。
ポーカーフェイスと言う言葉があるように、人間は顔で笑って心で泣ける器用さを持ち合わせた生き物なのだ。
なかでも笑顔は一番の曲者である。腹の中が泣いてばかりいるとは限らない。媚びるようなセールスマンの追従笑いなどはその典型である。卑屈な笑顔には毒があり、お愛想笑いの腹のなかはどうも真っ白とは言い難い。
「神秘的な微笑」と異国人が不思議がる日本人独特な笑顔からは、なかなか本心は汲み取りにくいだろう。
知らぬ顔の半兵衛を決め込む無責任な顔も、最近はウヨウヨしていて嘆かわしい。
顔は無防備であるが故に、風や太陽光線に晒され、時には雨や雪に打たれる。素材としては、かなり荒っぽい扱いを受ける運命にある。
そこで、自然の外敵から大事な素材を守るために、人間は帽子をかぶり、保湿だ、紫外線カットだ、
サングラスだと、出来る限りの手を尽くして防備に努めなければならない。顔は人間の表看板だからである。
表看板はいつもピカピカに磨いて人目を引かなければ意味がない。
女性のほうは、カラフラな化粧品を駆使して美しく化けてしまう。その上に、顔をいっそう引き立てようと、イヤリングを付けたり、髪の毛を染めてみたりする。(予想とは反対の結果に終わる場合も多いのだが)
男性の方は、若者は別として、髭剃りとその後のローションぐらいしか磨きかたはない。
ところで、剃るという行為の一方で、髭を蓄えるというのは男性の特権であり、これは表看板をより重厚に見せる手段でもある。
私の祖父は、ご自慢のカイゼル髭のお手入れに小一時間はかけていた。
当世の髭は昔にくらべておとなしい。若い男たちは髭にあまり興味がなく、もっぱら耳や鼻、唇にまで穴をあけてピアスを付けることのほうに熱中している。眉毛の剃り込みや、茶髪、金髪はいまや常識だが、あれは大事な顔をオモチャ代わりにしているとしか思えない。
かっては、機能的に不自由な場合に限って形成外科で治療をしてもらった顔が、今はより美しくを目的の美容整形が花盛りと聞く。
身体髪膚これを父母に受く、などと古めかしい格言は通用しなくなってしまった。通用はしないのだが、生まれたままの顔をあまりいじくりまわすと、全体のバランスが崩れてしまうのは確かだと思う。顔の美醜はカタログで決められるわけではない。大切なのは顔ではなく心である、と言うのも使い古された表現ではあるが、真実でもある。
ここまで書いて、フッと鏡を見た。
目が充血している。さらに顔を寄せてみた。シミや皺が増えたこと。しかしこの顔はどう見ても縄文系だなぁ、などと観察しているうちに気がついた。
人は絶体に自分の顔を、直接自分の目で見ることは出来ないのだと。鏡に映った自分の顔は、第三者が客観的に見る顔とは違う。ためしに、鏡の中の友だちの顔をよく見てみると、それは普段見慣れた顔と全く同一とは言えない。微妙にずれて見えはしないだろうか。
本当の自分の顔はいったいどんな顔なのだろう?
だいぶ以前に、東野圭吾著「分身」を読んだ。人間創造の聖域に踏み込んだクローン人間の話である
もしもこの小説の通りになって、ある日、自分と全く違わぬ老女が目の前に現れたら、自分の顔は確認できるけれども・・・未知の世界は興味津々でもあり、恐ろしくもある。
人の第一印象は、だいたい顔かたちで決められる。自分の場合は、最初の挨拶を交わした時に一瞬ゆるむ相手の表情が大切である。
表情豊かな人は、顔立ちの如何にかかわらず魅力的だ。
好きな役者に田中邦衛さんがいる。決して美男子とはいえないが、この人の顔の筋肉の動きからは目が離せない。役の上だけではないお人柄が出ているからだろう。
自分の顔は正直者であって欲しい。心を裏切るようなことはしないで欲しい。そのためには、やはり人間を磨くことしかなさそうだ。
穏やかな顔のまま、目を瞑れるようにまだまだ修行が必要である。
いい顔でお迎えを待ちましょ( ´艸`)
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これもだいぶ前に・・・夫がまだ生きていますものね。それに毛を染めるは健在ですけれど、最近の若者はさすがにピアスを付けたりはゼロでしょう?
そう言えば、先日テレビを見て居ましたら、最近は男性もお化粧をする人が多いとか、信じられませんでした。長駄文、読んで頂いて有難うございました。
お袋に似ている時期と、親父に似ている時期と。ふしぎなものです。
by 夏炉冬扇 (2024-12-21 20:59)
自分でも老けた顔になったなぁと思うから、久しぶりに会った人には、「どこの爺さんだろう」と思われるだろうなぁ^^
手の甲にはまだできませんが、顔には老人斑があちこちできはじめました。
by Baldhead1010 (2024-12-22 06:30)
おはようございます^^
文中(予想とは反対の結果に終わる場合も多いのだが)、と言うのを読んで「あるある」と思いました^^
道を歩いていて思うことが・・・男か女かわからない人が増えました。
顔だけでなく歩き方や服装の関係もあると思いますけれど。
by mm (2024-12-22 07:04)
髭の手入れに小一時間@@;)
自分は10分かからずで終わってしまいます^^;
by さる1号 (2024-12-22 09:33)
こんにちは!
平安時代の貴族は化粧してましたね!
武士の世の中になってなくなってしまったかな?
by Take-Zee (2024-12-22 14:45)
連日、寒いですねぇ~!巷ではインフルエンザが猛威を振るっています!!
by トモミ (2024-12-24 13:15)
私はポーカーフェイスができず、すぐに顔に出てしまいます(^^ゞ
by kuwachan (2024-12-24 16:46)
偶に酒を飲むとこの顔ホンマに俺かいな~と言うほど変わります。皴が増えてホクロが増えて、髪の毛が減って・・・。ポーカーは強かった心算です~
by OJJ (2024-12-24 21:18)
2010年に口腔がんの手術をして、左顎の下のリンパ節も一緒に取られてからは、自然に動くのは顔の右半分です。口を大きく開けてもちゃんと開くのは右だけとか、誰がどう見ても不自然な顔(表情)になってしまうので、普通に見えるようにの特訓(リハビリ)をしました。
おかげで今ではそんなに不自然には見えないようです(^^;
そうそう、今でも放射線治療の影響で顔の左側は髭が生えないので、髭剃りは念入りにするようになりました(^^)
by なかちゃん (2024-12-24 21:46)
かみさんに聞けば、今どんな顔をしてるか分かるなきっと。
でも、聞く勇気が無い。^^;
by たいへー (2024-12-25 08:32)
超駄文に沢山のコメント、有り難うございました。
それぞれにご自分のお顔についての想いをお持ちのようで、微笑ましく読ませて頂きました。
祖父の髭はカイゼル髭、左右にピンと跳ね上がった立派な白い髭でした。5センチはあったでしょうか。顔の表看板のようでした。
そうそう、数年ぶりに会った友達の顔も随分変わっていて驚いた記憶もあります。相手も同じことを感じていたでしょう( ´艸`)
以前に書いてこともあるかと思いますけれど、皺やシミは私にとっては人生をここまで生き抜いてきた証明だと思っています。消すような化粧品に興味は皆無です。
大切な自分の顔、これからも誇りを持って生きて行こうではありませんか!
私もブログの移行は考えていません。3月一杯、宜しくお付き合いのほど、お願いいたします。
by okko (2024-12-25 15:51)
私は帽子を深く被りサングラスを掛けて出かけます。
紫外線アレルギーと乱視のせいですが、良く人に見つめられる事があって
居心地が悪いのです。
人にどのように見られているのか気になっています。
録音された声と同じように、自分の顔も本当は分かっていないと思っています。
シワの増えた現在の自分を評価できませんが、自分の全てが見えたときには
驚愕するのではと思っています^^;
by ツツピーツツピー (2024-12-26 20:29)
佳いお年をお迎えください^^
by Baldhead1010 (2024-12-31 06:31)