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考えさせられた夜

    昨夜、「彼女は安楽死した」というタイトルのドキュメントを見て

    すっかり目が冴えてしまった。

    主人公はまだ、40代とおぼしき女性、難しい病名で忘れてしまったが

    筋萎縮症に似た難病。意識はハッキリしているし、食事もまあまあ

 の状態で口にしているが、間断ない体中の痛みは激しくなるばかり、

    「ワタシ、安楽死したい」と2人の姉に懇願した。

 
    数か月にわたる話し合いの末、苦しむ妹の姿に、姉たちも納得し、


    安楽死を法的に認めているスイスに、嘆願書を提出。


    スイスにはさまざまな国から、嘆願書が送られてきて、順番が回って


    来るのに時間がかかったが、思い叶って日本を後にしたという。


    ヨーロッパには、スイス以外にも、数か国、安楽死を許可している


  国があると聞いた。




     ここで話はガラリと変わって、我が父の場合。これも安楽死と


    言えたと思う。 有料施設に入所した父はすでに103才。


    ある日、 医師が、「大腸がんが見付かりました」唐突な話しであった。


    生粋の職業軍人だった父は、意識も正常。その口から出た言葉は、


 「これ以上、他人さまの血を輸血されてまで、手術はしたくない。


     その代わり、頼みがあります。明日から食事を少なめにしてください。


     幸い、何処にも痛みを感じてはいませんから」


  母はすでに他界しているし、兄と2人、当人の希望通りにと意思表示。


      先生も話のわかる方だったと、今でも感謝している。


      次の日から、食事の量、質ともに徐々に変化。

 
      最後には、鳥にやるすり餌のようなものだけ。それでも咀嚼して


      食べていた姿は、もはや最後を知り、悟りきった人の顔だったと思う。


     1日の殆どは眠っていたが、10月のある日、眠ったまま息を


     引き取っていた。


     チューブだらけにもならず、自ら希望した通りに最後を迎えた父


  わざわざスイスまで、死ぬために故国を後にした女性、


      103才という年齢もあるが、希望通りに旅立った父は幸せだった


       つくづく、そう思った夜だった。


       自分もそうありたい、ハイ、もうちゃんと書き置いてあります。



   (この話の一部は、2005年に出版した随筆集にチラッと書いてあるので

      ダブっている点があるかもしれません。お許しください)


     あの女性を、早く痛みから解放してあげたいです!


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