あだ名を付けられたこと、ありますか?? [随筆]
今日は過去のお話しではなくて、いま現在の思い出話です。
今年は年賀状、何通ぐらい受け取られましたか??
私は5通だったかな、90過ぎると当然のお話しでしょう。
その中に「ゴボーちゃん、元気ですか~?」で始まるのが一通あり、懐かしさで胸が一杯になりました。「ゴボーちゃん」と言うのは、最後に付けられた綽名、まあ呼びかけ言葉みたいなものです。
貴方は綽名を付けられたことがありますか??
私の場合、最初のは「オツ」でした。3才上の兄が名前をチャンと呼ぶ代わりに「オツ、遊ぼうか」と誘って呉れたり・・母には叱られていましたけれど。チャンとした名前で呼びなさいって。
幼稚園と中学は普通に呼ばれていました。戦後、高校に転入したとき、セーラー服というのを持っていなくて、母が作ってくれた紺のスーツを着て登校、目立ったのでしょうか「スーツ」という綽名がすぐに付きました。先生までが、授業中に「はい、スーツさん、次を読んで下さい」でした。女子だけの高校でしたけれど、綽名を付けるのが皆すきで・・・「アカツキ先生」は垢がついたみたい、「ゲンタコ先生」は原爆にあった蛸みたい・・・酷いものですね。
スーツさんも無事に高校卒業、大学は男女共学でしたけれど、特に綽名は付けられず・・
友達がよく遊びにきていたので、「オツ」を覚えてしまったようです。
そして就職。カードに記入する仕事でしたが、書いた者の名前を記入する欄があり、それぞれに好きな名前を付けて使っていました。いい名前が思いつかずにいると、課長が「そうですね、苗字から頭文字をとって[K,T]っていうのはどうですか?」
以来、カードの最後にKTと記入することになりました、声に出してみると「ケテイ~」になり、何とも外人さんみたいな、ロマンティックな呼び名になってしまいました。」アルトハイデルベルクを思いだしそうな??
新入社員が「貴女は二世なんですか??!」と真顔できかれたのには参りました。
結婚してから始めたテニスは、コートも近かったので、毎日のように通って走りまわっていました。
60才過ぎて、膝を骨折、身障者になる直前まで・・フルートの話でも書きましたが、まあ体力的にも限界に来ていたので、未練はそれほどに感じませんでした。
このテニスコートで付けられた最後の綽名が「ゴボーちゃん」だったのです。
真っ黒に日焼けした、長くて細い脚から誰言うとなく「ゴボーちゃん」と呼ばれるようになってしまいました。コート内ではよかったのですが、電車の中などで「あら、ゴボーちゃん!」と大きな声で呼ばれると恥ずかしさが先に立ちました。(長くて細いにご注目??)
年賀状に懐かしいニックネームを見付けて、何とも懐かしくいろいろと思いだしてしまいました。
貴方が付けられたニックネームは??? 是非、聞かせてください!!!
笛吹き老女(続) [随筆]
弦を擦る、或るいははじいて音を出す楽器は、古代ギリシャに今のハープに近い楽器で、キタラと呼ぶ物があったらしい。物を叩いたり、吹いたりして音を出すよりはその複雑さゆえに少し遅れを取ったのかも知れない。太い糸の端を口で挟んで弾くアイヌ民族のムックリなどは、弦を使った楽器のはしりと言えるだろう。
現代は、最後に出現した弦楽器が巾をきかせていて、オーケストラの中では、一番古い筈の叩く楽器、すなわちドラムやシンバル、トライアングルの存在感がいささか薄れてしまったようである。もともと鍵盤を叩く楽器だったピアノの演奏方法も多様化してしまった。シンプルから複雑さと難解さに進むのは自然の流れなのだろうか。
話しがすっかり逸れてしまったが、シンプルさを求めた楽器探しがすぐにフルートに結びついたわけではない。自分より一回り年上の知り合いが60歳をすぎてからギターを始められたと以前に聞き、年をとってからそういうのも悪くないなあ、と憧れていたので、先ずはギターを考えた。しかし、楽器が大きすぎて置き場所に困る、持ち運びも大変だという現実的な問題が壁になった。次に6本の弦を使い分けたり、何本かを同時に押さえて1つの音を出すということは、それだけ楽器が複雑になりピアノと同じ破目になりかねない。
この二つの問題をクリアするシンプルな楽器とは?と考えた時に笛が頭に浮かんだのである。笛と一口に言っても、縦横、長短がある。第一、いくらサイズが合格でも教えてくれる人がいなければどうにもならぬ。いろいろ調べてみると、幸いなことに電車で一駅先にヤマ〇音楽教室があり、大人向けの、いわゆる趣味でフルートを始めたい人向けの講座があることがわかった。
さっそく教室を訪ねて個人レッスンの見学をさせてもらった。案の定、楽譜は一つの音を読み取ればよくて、頭にも目にも優しそうだ。持ち運びの方も、90センチ×40センチほどの長方形のケースだから問題ない。
入学の手続きを終え、フルート専門店で銀(メッキ)色に輝くフルートを買った。
初レッスンは、ヒーともフーとも音が出なかったが、二カ月半過ぎた今は小さな曲ならば吹けるようになった。目的をもって指を細かく動かすのは老化防止にいいわよ、と友達は言ってくれるが、それは結果論であって、今はただ興味深々に楽しく指を動かしている。
フルートの音色は、どこかのんびりとして穏やかである。ルイ十四世の時代、ベルサイユ宮殿でも演奏されたというこの優雅な楽器は、恐らく自分にとって最後の趣味になるだろけれども、酸欠で倒れるまで付き合ってみたいものである。
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今から26年も昔のお話しでした。体力も減少する一方で、もう無理!と分かったのは何才の時だったでしょう、買ったフルート専門店に持って行き、相談をすると下取りをしてくれました。流石は老舗!と感心したものです。
貴方は楽器を演奏されますか? 読んで頂き有難うございました!
おかしいな事になりました!!
今日11日に続きを書いて保存したのに動いてくれません。明日、もう一度試してみます。
ゴメンナサイ!!
笛吹き老女 [随筆]
フルートを始めた。66才の手習いである。
25年間、テニスコートを走り回っていたのが、膝のお皿を割ると言う最悪の事態を経験してラケットを捨てざるを得なくなった。だが、これが案に相違して「おかげさまで」になった。たまたま体力の限界を感じ始めていた時だったから、骨折はいい機会を作ってくれたことになる。
人には、それぞれにその人なりの生活のリズムがある。テニスを失った自分の生活リズムが著しく狂ってしまった事は確かだ。一週間単位で考えても、空白の時間が驚くほど増えてしまった。だからと言って、遠くまで出歩くのはとても億劫で、近所を散歩するか日用品の買い物程度になってしまう。
これは何とかしなければと、1人ひっそり家にいた時、どういうわけか急に頭に閃いたのが、
「音がほしい」だった。CDやラジオ・テレビから流れてくる音を受ける側ではなくて、自分で音を出してみたいと思ったのである。ピアノはあれど、この年になると指の動きが複雑で・・・・もう少しシンプルなものに帰るべきではないかと考えた。
シンプルと言えば、そもそも一番素朴で原始的な音楽は、物を叩くことに始まったと思う。それはメロディーがなくてもリズムさえあればよかった。大昔の人たちは、何かを叩くことによって信号を発したり、情報の交換を行っていた。それが太鼓という整った形になったのは何時の頃からなのだろう。
その次にシンプルといえば、「吹く」動作だったとおもう。口笛に始まって草笛、竹笛、縄文遺跡からは石に穴をあけた笛状のものが発掘されたとも言う。この二つのシンプルな音は祭囃子や鼓笛隊、更には、歴史を振り返ればほら貝に陣太鼓、近世になれば軍隊の行進も太鼓に笛の吹奏楽で歩調を合わせたように、シンプル同士相性がいいようである。起床ラッパに突撃ラッパは我々世代の記憶にも新しい。
ラッパの語源は、サンスクリット語だそうだが、スコットランドにもバグパイプという、士気を鼓舞する吹奏楽器があった。
三が日も過ぎ去りました
暮れのご挨拶をしたばかりと思っている内に、もう今日は四日
手を濡らさずに、大晦日の年越蕎麦も、元旦の全員集合も、みな二階の長男宅にお任せのズボラ婆さんでした。
有難いことです。全員集合は孫、ひ孫も含めて12人、この年まで幸せに過ごせたことに感謝です!
自分のことは自分で・・を目標に今年も頑張って見ます。そろそろお迎えが来てもいい年になりました。ブログのお引越しは考えていません、FBにソネブロでご一緒の方も何人かいらっしゃるので、親しみやすいです。
とは言いながら、3月一杯は、こちらで拙い文章を発表する予定なのでそれまでは・・・・
隅から隅まで~~、よろしくおん願い奉りま~~~す!! チョンチョン!!
あら、可愛い??お嬢ちゃん!誰かしら?