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ボランティア活動、経験ありますか?? [随筆]



ボランティア活動、二回ほど経験しました。

第一回目は、「病院ボランティア」それも小児病棟での仕事?でした。

子供、と言ってもまだ頑是ない年齢、親のぬくもりを離れて、入院を余儀なくされ、心細い毎日を送っているに違いありません。

その子供たちと一緒に、歌ったり、本を読んで聞かせたり・・こちらも結構、楽しませてもらいました。

二回目は、香港在住中に赤十字に出向いての仕事。

何と女性の生理用品を作る、如何にも香港らしい???ボランティア活動でした。

無償で人の役に立つ仕事をするのがボランティア活動ですね。

今回の能登半島地震災害にも、沢山のボランティア団体が被災者のお世話に入っているようですが、
先日、テレビを付けてみたら、個人でそれを実行されている有名人お二人を紹介していました。

1人は世界的にも有名なアルピニスト野口 健さん、トラックの荷台一杯になるほどの生活必需品を現地まで段ボール箱に詰めて。ご当人も現地入り。

もう1人は、俳優の杉 良太郎さん。こちらはお手製の丼物を。ホカホカ湯気の立っているのを、完全自腹の炊き出しで被災者に、手渡しておられました。

売名行為だ、との批判にも負けず・・・・さすが~~、チャンバラ大好き婆さんは感動しました。

まあ、金持ちだから出来ることさ、という声も聞かれそうですけれど、なかなか実行に移せるものではありません。


無償で困っている人たちのお役に立つ行動に出る、海外ではかなり普及していますけれど、日本は??

まだまだ、募金に応募するくらいが精一杯、身を持って実行する人は少ないようです。

今日は大真面目な記事になりました。これにて失礼、チョン。


 mejiro.jpg
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何事も根気が一番! [随筆]



そろそろ、復帰しようかな。

指の動きも、感覚は鈍いけれども、FBでは短い感想文など書けるようになりました。

朝から晩まで、指のリハビリ・・ ゲームをするのも中指・人差し指以外は使わない、小さな

チューブなんかも、無理して、時間がかかっても、この二本の指が優先です。

グーチョキパーなんて意味のない事も、リハビリになる、阿保みたいですね。

プラス、脚のリハビリには、毎週2回歩いて通院。用事がなくても、必ず一度は歩いています。

私の毎日、リハビリと根競べです。

ブログ、止めようかなあ~、そんな思いもありましたが、初めて30年、捨てがたい、90才を過ぎて

しまいました。


家に籠って、テレビばかり見ていてもリハビリにはならない、(最近の昼時の時間帯、つまらない~)


話は突然、変わります。「ズッキーニ」ご存知ですよね。 いつの間にこんなに流行りの野菜になった

のでしょう。

もともとは、北アメリカ南部やメキシコと言われていたようですが、それが、イタリア語「zukka」に地

「小さい」の意味をつけたお野菜で、「zukka」にはカボチャの意味あり。

イタリア駐在は5年弱でしたが、かの地で初めてお目にかかり

ました。大好きです。これを薄く切るのも、スライサーなんか使いません。

右手の鈍っている所をなるべく使って薄く切っています。


なんじゃ、このブログは????  もっと面白い内容のブログを次回からは・・・・


(ついでに、nice も受け付けて見ちゃおうかな?  悪趣味??)


次回は、面白い内容、そうだ、西部劇?? 「3人の名付け親」主演、J・ウエインとくれば、監督は

J・フォード、昨日だったかな、面白かった!!

ここまで書いて、右手人差し指の感覚は、悪くはなけれど、殆どありません。

下らない内容でも、リハビリにはなりました。

もうこれで、指のリハビリは充分! 




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敬語 [随筆]



50代前半だったと記憶します。(40年近く前)

当時、日本語教師を仕事としていました。

かなり空間のある部屋に、椅子が数個置かれた教室で数人の外国人に日本語を教えるのが仕事。

ある日のこと「チョット、難しい人が来たんで、相談に乗って貰えませんか?」事務局から。

「難しい人?」? ややこしいの、イヤだなぁ。兎に角会って見ましょう。

 若くて美しい女性が、待っていました。

「初めまして・・私、〇〇と申します。お願いがあって参りました」完璧な日本語じゃありませんか?

「実は、ワタクシ、普通に皆さまが話していらっしゃるような日本語を教えて頂きたいのです」

文句のつけようがないご立派な日本語。なんじゃ、こりゃ??


「日本は、敬語を正しく使えなければ暮らして行けないと、大学で習いました。それで、敬語から

日本語を勉強することになったのでございます。でも、実際にこちらに参りまして、敬語しか

使えない不自由さを感じるようになったのでございます。

どうか、普通に会話が出来るような、くだけた日本語をお教えくださいませ」


 自分が教えているのは、普通の日本語。友人と食事に行くと仮定して、

「なに食べる? お蕎麦がいい?それとも何か他にある??」などと言うのが

「何を召し上がりますか?お蕎麦がよろしゅうございます?それとも、他に何かご希望がお有り

でしょうか?」になってしまうわけです。

確かに、丁寧な言い回しは、何処の国にも存在するでしょうが、それしか使えなくなると???

それは厄介な問題に変貌してしまう。

かなり昔の話なので、はっきりとは覚えていないが、兎に角、頭の回転も速いので、無事、

切り抜けたのは確か。

「先生、有難うございました」で、終了したのは覚えています。


一口に「日本語を教える」と言っても、かなりの肉体労働。日本語以外、一切使わないので、

走ったり、食べたり・・・パントマイムまがいに身体を動かす草臥れる仕事ではありました。

1クラス, 6人がいいところだったように記憶しています。アメリカ人、スリランカ人などなど、

今となっては、懐かしい思い出です。


ついでにもう一人、変わった生徒の話。

こちらは中年の男性。「すみません、ワタシ、tone deaf。レッスンを当家まで来て教えて欲しい」

tone deaf(トーン・デフ) 音痴のこと。幸い家も離れていないし、週2回、週末の約束で引き受けた。

日本語を教えるどころか、教える会話は全部英語。

アリガタヤ、こちらが英会話の勉強をさせてもらったようなものでした。

その奥様が「ワッシーが欲しいけど、何処で買えます?」ワッシー????

説明を聞いて、ああ、和紙ね、それも折り紙、と納得。


肉体労働も伴う日本語教師時代、いま、あの人たち、どうしているだろう。懐かしく思い出します。

最近は日本人でも、言葉の乱れが問題になっています。彼女ほど綺麗で完璧な敬語を使える人、

どれぐらいいるでしょうか??
 

    003.JPG


   
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何とも珍妙な母のプレゼント [随筆]



70年前の話である。

20才を迎えた年のある日、縁側で本を読んでいると、母が「チョット来てくれない?」

「ハイ、これ。貴女も二十歳になったのねぇ。はい、これもう解禁よ」

と差し出したのは、忘れもしない、白地にブルーのショートホープだった。

「貴女もこれからは、立派な社会人なんだから、タバコの1本も吸えないと恥をかくわよ」

狐につままれたとは、まさにこんな状態ではなかろうか。しかも、母は箱から1本抜き取ると、

馴れた手つきで、火をつけて吸い始めたではないか!

「え~~ッ、お母さま、タバコを吸っていたの??」

「うん、みんなに隠れてね、(* ̄▽ ̄)フフフッ♪」

「隠れなくたっていいじゃないの?」

「だって、お父さまは吸わないしアタシだけが、スパスパっていうのもねぇ、やりづらいものよ」

当時、我が家は渋谷の祖父の家に同居させてもらっていた。 祖父は煙管を愛用、堂々と煙を

くゆらせていた。

だが、女性の喫煙は、特殊な職業の人は別として、「はしたない」と決めつけられていた時代

だった。どうやら祖母は、ドボン式のトイレで隠れて吸っていたようで・・・となると、これは

遺伝なのかも知れない。ご不浄の秘めたタバコの匂いは、よからぬ行為と結びついていた。臭気

を消すためだったとすれば、祖母はいつも番茶を火にくべていたなぁ・・・・


消えぬ疑問を抱きながら、同居生活も終わり、いつのまにか、自分も祖母の煙草の件は忘れかけて

いた折りも折り、20才を迎えた(今で言えば成人の日、突然の母の言葉に、うろたえても、

致し方なかったのは当然であった。

父は一切、煙草とは縁がない、嫌いではないのかも知れないが、軍人さんだったからのようである。

のちに父に尋ねてみたことがある。

「お父様はどうして、タバコを吸わないの?」

「軍人でタバコに取りつかれたら、前線に配置されたときに、苦しむからさ。

 タバコは吸いたい、けど、最前線の塹壕の中では、タバコの火さえ敵の標的になる。そんな

 現実を知っているから、初めから吸わないのさ。それほど好きでもないし・・・」

 なるほどね~。

 母がなぜ、私にタバコをくれたのか、その唐突さにはいささか戸惑ったが、今になって思えば、

 母はタバコ仲間が欲しかったのだろう。明治生まれの母は、自分が持っている罪悪感めいた物を

 半減できると思ったのかも知れない、そうに違いないと私は断定した。

 蓮っ葉な女がすることよ、と世の親たちが娘の喫煙をいましめるのが本当なのに・・・

 思いもよらぬプレゼントでタバコの味を教えてもらった。


 結婚した相手が、ヘビースモーカーに近い愛煙家だったのが幸いして、誰に気兼ねをするでもなく

 スパスパやっていたのが、ある日を境に、突然の禁煙宣言、どうも具合が悪い、食後だけの

 3本がいつの間にか夜の1本だけになり、1人だけスパスパは吸いずらい。

 等々、タバコとはすっかり縁がきれてしまった。

 最近、へりましたねぇ、近所でも2軒ほど、小さなタバコ屋さんが閉店。

 20才といえば、成人式、お揃いで買ったような白いフカフカの肩掛けの和服姿もめっきり、

 減ったような気がしませんか?


   画伯狂乱.jpg




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目線の高さ [随筆]



自分は背が高い。 5尺5寸・・つまり168センチ近い、背筋は真っ直ぐ!

自慢話ではない、こちらは母の厳しい躾けで・・背を丸くして勉強していると、背中に三尺の物差し

を入れられて、「背中が丸いのはよろしくない!」

そのおかげ?で、90過ぎても、背は丸くない。そこで困るのは・・・

道を歩いていて、知り合いに出会ったとき。なるべく腰をかがめて、相手と目を合わせるように

努力している。

人と話をする時には、相手の目を真っ直ぐに見て、とはよく言われる。

会話を交わしているのに、目を逸らしながら、目を伏せたまま、或いはあらぬ方を眺めながら・・

人さまざまであるけれども、相手を当人としてはあまり気持ちの良いモノではない。相手の目線の

行方が、その人の感情をそのまま表しているように思えるからだ。

だが、同じ目を合わせる、でも、目線の高低について考えて見たことがあるだろうか。


犬好きの夫婦、犬、それもシーズー犬ばかり。結婚してから40年間に4匹を看取ってきた。その折

に気が付いたのだが、それは子犬が真っ先に親近感を見せる相手は子供、それも幼児に対してで

あったことである。目線の高さが自分に一番近いから・・という理由もあったのではなかろうか。


ある日、我が家に友人が数人遊びにきた。大人しいシーズー君、シッポを振りながらの大歓迎。

友人たちは口々に、「あら、可愛いこと!」「大人しいわねえ」と言いながら頭を撫でてくれた。


その時だった、上にキ印が付くほどのワン大好きなTさんが、いきなり床にゴロンと寝転がって、

犬の頭と同じ位置に顔を置き、 「いい子ちゃんだね、元気かい??」と彼の鼻ずらを撫でて

やったのである。

 犬とTさんの目線の高さが丁度おなじになった時の犬の喜びようは尋常ではなかった。

体当たりをするように、身体全体で嬉しさを表現していた。呆気に取られている私たちに、

「犬はね、上から見ていられるにが恐いのよ。高い所から見下ろされているんですもん」

なるほどねぇ、犬の目の位置から見上げれば、なんと人間たちの巨大なこと!まさに怪物並みである。

試みに頭の中で、小型犬の目の高さで散歩をする自分の姿を想像してみよう。

車から吐き出される排気ガスは、顔をまともに直撃する毒ガス、風の強い日は埃が身体に容赦なく・・

白い被毛もすぐに灰色に変色、傍目には平和な犬と散歩の風景も、右をみても左をみても巨人だらけ、

案外、犬にとっては迷惑千万、ストレスの塊なのかも知れない。

彼もすでに年老いてしまったし、用事を足したら、抱き上げて外気だけは充分に吸わせてやった。


ところで、何故、いま急に犬の目線かというと、これと全く同じ状況に置かれているのが、ハイハイ

を始めたばかりの赤ちゃんではないかと思い当たったからである。

 大人は椅子に座りハイハイしている子に向かってどんなに笑顔を見せても、声だけであやしても、

彼、または彼女の目線よりは大人のそれの方が、遥かに高いし、身体も大きい。

 いいチャンスが訪れた。遊びに来たハイハイの孫の傍に寝転がってみた。一瞬、驚いた顔を

みせたが、効果的面!ビックリはしたが、嬉しそうにワタシの鼻や口をオモチャにして、すっかり

ご機嫌を直してしまった。


日本人は、白人に比較すると、概して背が低い。目を合わせて話していても、目線の高低はかなり

のものがある。言葉の未熟さと相俟って、相手を見上げなければ、目が合わぬ状態は、卑屈さや

劣等感のように思えてならない。

いつも思う事だが、先進国首脳サミットで、横一列の写真撮影ではなく、前列に椅子のご用意は

できないものだろうか。


「頭ごなしに叱る」と言う表現があるが、親が子供を叱るときには、その子の目線にまで腰を

落とし、しっかりと目を見据えどこがどう悪かったか、ゆっくり諭してやるべきだと思う。

大きいことはいいことかもしれないが、その大きな物を人間や動物たちのことも、決して忘れて

はならないと思う。

大女の自分が、知り合いに会って、話をするとき、不自由な脚を痛むほどに曲げて、目と目を

合わせて話したい、最初のはそういう理由からです。


初めて出会ったポピーとタヌ吉くん、同じ高さの目線で、すぐに仲良くなりました。

 
   popi-とたぬ.jpg


こんな埒もない随筆集を自分で綴じて・・・10冊近く作りました。

不定期ブログもいいけれど、何か書いていないとやっぱり、詰まらん!

手先も鈍る、斜め読み・・・いえ、読んで下さらないで結構です、老化防止にこれからも指先は

使います。
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アナタのお名前、なんて~~の??? [随筆]



かなり昔、こんなお笑い番組があった。。もうすっかり内容は忘れてしまったが。

今回は地名について・・・。大石 学著「駅名で読む江戸・東京」を読んでいる。

なかなか、面白い。まずは東京と言う地名、「江戸幕府が崩壊し、新たな国家体制が構想される

なかで日本の首都を何処に置くか、さまざまな議論が展開された。 慶應4年(明治元年1868年)

7月17日に、「江戸を東京とする」という詔書がだされ、京都(西京)に対する東京の呼称が

制定された」(本書より引用)

まあ、そんなわけで東京という地名ができたわけだが、地名はどうやって決まったか、興味深い。

銀座は、金座と銀座が一緒だった金融の中枢(江戸時代)で、銀が勝った???

若者で賑わう六本木には、江戸時代、確かに目を引く大木が6本並んで立ったいた・・・などなど。

かく言う私の住まいは、有名な河の東に位置するので、東〇川という土地にある。


転じて私見だが、日本の都市や町は、「田」や「川」「山」「野」の付く所が多い気がする。

日本は自然に恵まれ、江戸時代から田畑を耕す農業の国であったからだろう。


180度、転換して姓名もまた、語尾が「山田」「田中」「古川」「西山」etc・・・など自然と結び

ついた名前が群を抜く。語尾に「藤」が付くのは、藤原家の血を受け継いでいる、などとも言う。

確かに「加藤」「斎藤」「伊藤」・・・枚挙にいとまがない。(加藤。斎藤、犬の糞)などという

囃子歌を知っている世代は、少ないだろう

面白いところでは、自分の実家は「浮田」という。これまた、「田」が付いている。

祖父は頑固な、いわゆる昔気質の軍人あがりだったが、「当家は宇喜多秀家の血を引く」と

言い張って、立派な墓石にはなんと「宇喜多家の墓」と彫らせてしまった。秀家さん、

八丈島に流されて、かの地で没したのに。自分にはこの武将が善であったか、悪であったか、

よく分かっていないが、名前の方も地名と同じく、辿って行くときりがない。


新書版のこの本、内容が濃く最近の愛読書、いろいろと未知の、街や町の名前の由来が分かって、

楽しみながら読んでいる。

皆さまも、自分の住んでいる村・町、都会の名前の由来を紐解いていってみるのも一興かと。

さあ、次は「駒場」の由来、また「へ~~!」「なるほどね」の連続になりそうである。


4月も近い、新学期の準備は出来ましたか??

  ポピー中学生になる.jpg
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知らないの?? [随筆]

   ひし(孫とおじいちゃんの会話)
「ねぇ、三菱自動車って知ってる?」
「勿論、知っているさ」
「じゃあ、菱餅とか菱形ってしってる?」
「知ってるさ、当たり前じゃないか」
「剣菱って日本酒は?」
「あれは美味しいなあ。じゃあ、お前、剣菱って紋所、しってるか?」
「剣先を菱形にかたどった紋でしょ」
 
「そうだ。で、さっきから何をひし、ひし言っているんだ?」
「じゃあ、最後に1つね、ひしってな~んだ?」
「う~ん、菱は菱だよ、それで充分」
「今朝ね、テレビ見てたら、菱の収穫が最盛期を迎えてます、って聞いて、エッ、
 菱ってどんなものだろうと思ったら、水生植物でさ、根っこの先に茶色の実が成って
 いるの。小ぶりのジャガイモみたいの、その形が菱形だったのね。
 茹でて食べると栗みたいに美味しいんだってさ。あの実の形から菱形って言うんだって」
「そうか、この年になるまで、知らなかった。ということは、戦国時代に敵が攻めてこない
 ように、道にばらまいて置いた菱、忍者が使う菱もそこから来たんだな」


  年をとっても知らないことは山ほどありますね。

 道路は舗装されて、土の部分は殆ど消えましたが、幼い頃、霜柱をサクサク踏んで

 学校に通ったのは、楽しかった、土が寒さで凍って出来るものと思って。
 ところが、最近になって、「シソ科の雪寄り草という植物の枯れ枝に霜が付く、
 それも霜柱と言う」と知り、まだまだ、知らないことは山ほどあることを
 つくづく感じた次第。ああ、これ「花柱」ともいうそうです。
  人間、死ぬまで学びですね。
     フェレットが雪遊び.jpg
    

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まだ「芸者」? [随筆]

    IMG_E1046.JPG
この美しい教会は、1937年から、4年間、過ごしたフィンランドはヘルシンキ。

当時、フィンランドは現在のウクライナ問題同様に、ソ連に国土の南部を削り取られた

状態。北欧3国、ドイツを味方にそれ以上の侵攻を防ぐ必要があった・・とか、

詳しいことは4歳の自分には知る由もなく・・。ただ軍人だった父はそれに関連した

任務について、ヘルシンキへ転勤。母と私は一足遅れて、シベリア鉄道に2週間揺られて

遥々、北の国の住人になりました。


父の任務はかなり重要なものだったようで、帰国後、フィンランドについて薄い冊子を

か書きました。どういう巡り合わせか、フィンランド人の目に留まり、翻訳して出版

したいという話が飛び込んできた、ただ、妻子については一言も書いてないので、

是非、奥さまとお嬢様(ワタシのことよ)のお話し、お写真etc,資料が欲しい・・・


で、昨週の火曜日は、フィンランド在住中の、母の写真やら、書類、本など、

あちこちひっくり返して、フィンランド大使館を訪問しました。


母はフィンランド大学の合唱団の要請で、大胆にも日本国歌は勿論、当時流行って居た

歌など教えていました。 可愛い??4歳のokkoさんは、ドイツ人経営の幼稚園へ、

帰れば近所の子どもと、仲良しになりフィンランド語もペラペラ??

綺麗なおべべを着せられて、フィンランド人が催すパーティーにも、

「okko
を連れて来なくちゃだめ!」何しろたった1人ですからね、猿回しの猿役や。


で、何を書きたいかと言うと、「今日は本当に有益な話をたくさん聞かせてくださって、

ありがとう。ホンのお礼の気持ち・・・」にと、貫禄ある武官から手渡されたのが

マリメッコの携帯傘とチョコレート。なんと、そのチョコの名前が・・


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「芸者」!これには驚きましたね~。日本はまだこの程度にしか理解されていないのか、

チョコは美味しいけれど、自分の国が外国でどの程度、知られているのか、

現代の日本を知らせなければならない義務を、これからの世代に自覚して貰いたい!


話したこと、写真等々もフィンランド語に訳される父の本に載せられることになって

います。

以上、話は弾みましたが、最後の「芸者」でガクン!の火曜日でした。つまらぬブログで

済みません、いえ、毎度のことで。

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日曜日の過ごし方 [随筆]

日本人は、いつから日曜日に仕事を休むようになったのだろう。

というのも、過日、テレビで時代劇を見ていて、江戸時代の休みの決まりはどうなって


いたのかな?と思ったからである。大工の熊さんは雨が降れば、魚屋の太助兄いは時化


(しけ)が続けば休むより他になかったろう。


城詰めや奉行所の役人たちは、いつ休んでいたのかな?


あて推量で考えて見れば、働き手の労働時間は夜明けから日没まで。電気のない時代


だから、花街あたりは別として、暗くなれば寝る、眠りが充分ならば、年中無休で


働いていたのかも知れない。


早速、Wikiさんにお出ましを頂いた。


1週間7日制は、古代バビロニアから始まったといわれているが各曜日は、古代ローマ


によって作られた、曜日の名前は、太陽・月・惑星の名前に由来。


日=太陽、月―月、火-火星、水ー水星、木‐木星、金ー金星、土ー土星。


昔の人は、規則的に動くこれらの星から、時間や季節をよみとっていたそうな。


まあ、この辺りはご存知の人が大勢いるだろう。


江戸時代以前は、現代同様の「曜日」の習慣はなかった。「日曜日だから休み」


の習慣は、どうやら明治時代かららしい。(説明、山ほど記録がありますから、興味


のある方はGoogleからどうぞ。


江戸時代は借金の取り立てや、返済などが庶民のカレンダーだったのかも知れない。


何故、こんな訳の分からぬ奇妙なことを考えついたかというと、息子一家が土曜日から


二泊で伊豆に出掛けて、日・月と留守だったせいもある。今日は火曜日、


当然昨日は月曜日なのに、家にいない。当然、会社に出掛ける日なのに・・・


いずれにしても、政府の方針か、最近は「海の日」「山の日」etc、連休が増えた。


日曜日の過ごし方はひとそれぞれである。


「毎日が日曜日」に近い日々を送っている、且つての企業戦士をみると、今更、日曜日


日曜日、と言われても取り立てて感慨もない。


その日のために、趣味の一つや二つは持っていた方がよさそうだ。


そうだ、最近はクリスマスだの、ハロウインだの、アチラのお祭りも休日化してきて


いる。先日のバイキンマン完食。ばい菌の効果はなかったようです。

  
     ハロウイーン.jpg

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日本人の名前について考えた [随筆]

その昔、トニー谷さんの「あんたのお名前、何ちゅうの?(^^♪」って歌があった。

かなり評判だったが、日本人の名前について考えてみた。


苗字の方は簡単、自分が住んでいる土地の特徴を、そのまま苗字にしたものが多い。


栗林、森、森山、川口、草刈etc、藤で終わる苗字は藤原家の末裔、斎藤、加藤、


伊藤数え上げたらキリがない。


ことの真偽は知らないが、そう言われてきた。あり得る話ではあるが。


問題は名前の方である。 特に女性、且つては、必ずといっていいほど上に「お」を


つけて、おみよ、おさよ、お千代、おりん、おはな(おはなはんは有名だが)


それも、高い位の姫君さまにも、お市の方様的な表現が使われていた。


それがいつの時代からか・・・明治維新以来???


「お」の代わりに、名前の下に「子」が付くようになった。


みよ子,佐代子、花子、きよ子(喜代子)とも漢字混ざりではあるが、子が語尾に付く


ようになった。かく言う私も○○子、そして最近は子は無視されて、不思議な名前が幅を


広げているようだ。


男子はどうだろう??? 拙い知識で知る限り、「太郎」で終わる名前が多かったように


思える。江戸時代は八五郎だの、熊五郎だのもみえるが、太郎だけが生き残った。


「太郎」は長男を意味する、と言う。だが全てがそうではなかったと思う。


母が「女は子で終わり、男は太郎か郎で終わるのよ」と教えてくれたことがあった。

次郎、三郎は次男や三男を意味したのかもしれない。


そう言いながら、母は兄に「郎」の付かない名前を付けた、父の名前から一文字、


取ったのかも知れない。


男性の方も、現代はさまざまで、面白い。


暇に任せて、ときどき、「何故だろう??」が頭をよぎるので、名前関係に詳しい方が


おられたら、教えを乞いたいと思った雑文でした。


  123.jpgヨチヨチ歩き。

 観察を続けていた蝶の蛹が孵化して、ヨタヨタ・・近づくと驚くだろうと思いながらも
 そ~~~ッと近づいて、スマホで追ってみたら、ヨチヨチ歩きが次第に早くなり、
 10分も経たぬうちに、飛び立ちました。でも、きっと、すぐに一休みでしょう。

 003.JPG道は遠い、頑張れよ。

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