8月15日、今日の日??
今日、8月15日は「敗戦の日」です。敢えて「終戦」とは言いません。
正午に玉音放送がありました。暑い日の空にはギラギラ輝く太陽、疎開先で母と2人、汗をポタポタながしながら、聞いていた記憶があります。
当時、私は中学1年生、母と2人、疎開先の農家の離れで暮らしていました。心細いと母がときどき
シクシク泣いていたのも、思い出されます。父は職業軍人で前線に、兄は幼年学校在学中でした。
近くに知人も居らず、私たちをジロジロと眺めたはコソコソと内緒話?? 居心地がいいとはとても言えませんでした。ジトジトしたいじめに遭っているような不愉快さ、今でもアリアリと記憶に残っています。
わずに
オロオロしている間に、父も兄も無事に帰宅。東京の家も空襲に遭わずに残っていたので、4人の顔が揃ったときは、みなニコニコと笑顔、失業してしまった元軍人さんの父も職が安定してヤレヤレ。
クヨクヨしてもオタオタしても始まらない、世の中、メソメソしないで前進あるのみでここまで長生きをすることが出来ました。
ナガナガとお付き合い頂き有難うございました。
太平洋戦争をご存知ない方も、大勢いらっしゃるでしょう。
ところで、何だか無理やりという感じで挿入したカタカナの表現、実は
「日本語擬態語辞典」五味太郎著、という文庫本を読んで思い付いたものです。
世界広しと言えども、日本にしか存在しない擬態語、言われてみれば確かに!
数すくない外国語の知識しかありませんが、だいぶ前に、日本語教師をしていたとき、多分、夏だったと思うのですが、
「今日はジトジト湿気もあるし、不愉快ですねぇ。」と言ったらすかさず、
「ジトジト??どういう意味ですか?」と質問され、易しい日本語で説明するのに汗をかいた経験があるからです。外国語には擬態語は存在しない日本語独特なモノであることを再発見させて頂きました。
ようやく慣れました。
何に慣れたの???
胆石君たちを相手の食事療法。脂っこいものは殆ど口にしていません。
揚げ物はモチロン、炒め物もです。煮物、蒸し物、焼き物などなど、味付けも薄く・・・。
病院から頂いた「胆石・胆のう炎の食事療法」なる覚書を参考に。
90才過ぎると、それほど脂っこい物を食べたくもありませんから、苦痛でもなく過ごしています。
もう1つ、慣れたモノがあります。
それは?? セルフレジという代物。
近くのスーパーが、セルフレジに変わってからかなり苦労しました。
機械という代物が、乾いた声で「お金を投入してください」
こちらは財布の中の細かいのを整理したくて、ゴソゴソ探していると、再度、乾いた声で、
「お金を投入してください」
「チョット待って下さい!」と言っても無視される、その間、レジの女性は無言でコチラを見ているだけ。
結局,細かいのを整理するのを諦めて、またまた、お札を崩してしまう。
情け無用の冷たい、急かすような「お金を投入してください」には負けました。
でも、ようやく最近になって、コイツとも付き合えるようになって来ました。
「あなた、暇になって良かったわね」嫌味の一言をレジの女性に言いたいのをグッと我慢して。
先日、「スマホでオーダーするお蕎麦やさん」の話をブログで拝見して、ビックリしたばかりです。
これからは年寄りも、機械という血も涙もない怪物を相手に、悪戦苦闘を強いられる運命にあるのでしょう。
クーラーは何度??
毎日の猛暑続き、室内はクーラーなしでは過ごせません。団扇から扇風機、クーラーへと涼を取る
手段も変わってきました。
テレビ・ラジオは「我慢せずクーラーを付けて・・・」と呼び掛けていますけれど、クーラーのない家庭って、もう皆無なんでしょうか?
そのクーラーですけれど、お宅は何度に設定されていますか??
当家、昼間は、29度設定です。
問題は夜、寝室の温度設定です。29度はチョイと暑さを感じるので、27度で部屋を冷やして置き、本など読んでトロトロ眠くなったときに、28設定にしています。
今朝、二階に住む息子に聞いてみたら「26度だよ」ビックリしました。
いつぞや27度にしたまま寝落ちしたとき、寒くて夜中に目が醒めたことを思い出して・・・。
たかが1・2度の差ですけれど、人間の体ってそれほど感じ方に差があるものでしょうか?
年齢によって違うのかしら?
皆さまは如何でしょう??夏掛け一枚として、何度に設定されていますか??
どうでもいいハナシではありますけれど、チョイと興味があり…。お粗末。
血は争えない・・・涙
胆管結石で退院したばかりなのに、何と、二階に住む長男が、体調を崩して、私と入れ違いに
入院。症状もよく似ている、検査の結果は??驚くなかれ同じく胆管結石!!
幸い私よりも軽症で、結石も全部、取り除いたとか、取れた石?の写真をスマホで送って呉れました。
黒い石?が。
彼は全部取れましたけれど、わたしゃまだゴロゴロ残っているそうな。
宝石なら手術してでも、取り出すけれどなぁ~。
食事に気を付けてはいますが、いつ、何が起こるかわからん。
それにしても、体質というんでしょうか、親子の血は争えないものだとしみじみ、でした。
さあ、次回からは面白く、明るい記事をかきますよ~~~!!!
カナ、カナ、カナ ???
カナ カナ カナ~~ッ????
もうヒグラシが鳴いているの?今年はアブラゼミの声もまだ聞こえないのに???
蝉の話ではありません、人間の話言葉です。テレビを見ていると、マイクを向けられた人が必ずと
言っていいほど
「いいんじゃないかな~って思います」
「おかしいんじゃないかな~って感じ」
「今年の夏は暑すぎるんじゃないかな~っておもいません?」etc.
言葉は生きていると言いますから、時代によって流行る言い回しがあると思いますけれど、
最近はこの「かな~っ」という表現が耳に付くように思います。
自分の言いたいことに自信がないのか??それとも単なる流行なのか。
今もオリンピックの選手が、
「皆さんの応援が背中を押してくれたんじゃないかな~~って思います」
と息を弾ませてインタビューに応えていました。
ちょいと耳に付いた最近はやりの表現について、感じたままを書いてみたまでです。
再開いたします、よろしく❣
ブログをお休みしている間に、思いもかけず、病に侵され、入院生活を与儀なくされました。
胆管結石とやら。もう充分、生きましたので手術はお断りして帰宅したのが5日前。
普通にしていれば、痛みもなく食事制も油の強いものを避けるだけなので、大して厳しくはありません。猛暑の毎日なので、家に籠り、ノンビリと暮らしております。
ブログ再開いたしますので、よろしくお願いいたします。
暫時、お休みさせて頂きます。
珍しく1週間近く、記事をアップしていません。
思えば、膝の怪我以来、好きなテニスともお別れ、「これからは、パソコンをやりなさい、新しい発見があるから」と、亡き兄に勧められて、入退院の繰り返しも卒業、近くにパソコン教室があると知り、早速、門を叩きました。
卒業のとき、「ブログって言うのを始めると、友達の輪が広がって楽しいですよ」
早速、始めてみました。書くことが好きなので、それが楽しみでした。
カメラも嫌いではなく、最初の頃は必ず写真を1~3枚、載せていたように記憶しています。
お蔭さまで読んで下さる方も次第に増えて、記事の数も2240までになりました。
光陰矢の如し、とはまさにこのことを言うのでしょう。
でもでも・・・流石にパソも私も年老いました。最近は、I Pad と言う便利で手軽なものを重宝しています。FBも書けますし・・・事実、パソコンのブロ友さんの中には、両方掛け持ちで記事や写真を載せている方も数名いらっしゃいます。
そしてゲームの数が多い、面白い上に脳の活性化にもよい、と言われていますが、私の場合は何より面白くて負けたくない!!が目的でしょうか?
いろいろと並べましたけれど、この辺りでパソコン・ブログは秋が来るあたりまで、休憩したいと思います。パソコンが反省するかどうか・・新しいのはもう、先が見えている人間稼業・・・[?]マークです。多分、買わないと思います。
I Pad から自分のブログは覗けるのですが、描きこみは出来ません。
梅雨から酷暑、嫌な季節が当分続きますが、どうぞ皆さま、くれぐれもご自愛くださいませ。
なお、この記事に遊びに来て下さった方へのお返事は、書かせて頂きます。
ありがとうございました!
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好きな色は??何色ですか。
下手の横好きで「色えんぴつ教室」に通っていたことがある。
その前は、油絵を・・・でも完成しても保存場所が問題だった。色鉛筆画は、匂いもないし場所も取らない。
色は36色を使ったが先生はこう言われた。
「このうち、白と黒は使うことが殆どないから、初めからないものと思って下さい」
因みに、12色の色鉛筆セットに白は入っていない。(当時は)
画用紙は、紙質の差こそあれ、特殊なものを除いては白と相場が決っている。なぜ白なのか、それはどんな色にでも塗り分けられ、その色を引き立てるためかも知れない。
白く見える部分は最初から塗り残すように教えられたし、実際、絵を描く場合に限っても、真っ白な対象物はなきに等しいそうである。少女時代に塗り絵を楽しめたのも、やはり地が白ならではのことだったと思う。
少し哲学的な言い方をすれば、白は「無」である。花嫁衣装が白いのは嫁ぐ家の家風に染まる意気を、切腹を賜った武士の白装束は文字通り「無」の心を意味しているように思われる。何かに驚いたとき「頭の中が真っ白になる」という表現を用いるのも「無」に通じるかも知れない。
趣味や稽古事を始めるとき、教える側は、生徒が何の知識も持たないほうが教えやすいと聞く。つまり、白紙の状態である方が、生半可な色に染まってしまっている人よりも、何でも素直に受け入れてくれるから、ということだろう。
白を効果的に塗り分けるのはこちらの責任である。真っ白で無垢な心をもって生まれてきた赤ちゃんが、非行少年に成長するか、悪徳官僚に成り下がるか、これは親と周囲を取り巻く大人社会の責任である。白はもこの辺りの話になってくると難しく、奥が深くなってくる。
以前、入院していたとき、さまざまなお花をお見舞いに頂いた。こちらを元気付けようと、赤、ピンク、黄色、紫と色鮮やかなお花が多かった。だが、そのどれにも、白のカスミ草や子でまりが主役を引き立てるように、必ずと言ってよいほど添えられていた。
何色にでも染まる白、引き立て役でありながら自分を殺すことのない白、自己反省も加えて、私の好きな色といえそうである。
と言いながら、本当に好きな色は、トルコブルーなのです。
そうそう、油絵を習い始めたとき、もしあれば、作品を一点、持参してください、ということで、まあまあこれならば、と持っていくと、一目みるなり先生曰く
「これは写真をみて描きましたね? すぐに分かりますよ、自然のものであれ、加工されたものであれ、直線という物はこの世に存在しないんですから」
ヨシッ!とばかりに描いた社宅の狭い庭。言われてみれば、柵も塀も、直線に見えるけれどそうではなかった。今でも大切にしまってあります。
*****************************************終わり
あなたのお名前、何て~の??
ブログでは、皆さま、ハンドルネームを使われるので本当のお名前は存じ上げません。
それでも、一向に構わないのですけれど、ふっと気になって首を突っ込んでみたくなりました。
「苗字(名字)帯刀」この言葉はご存知ですね。江戸時代、特定の庶民が血筋を表す家の名称を名乗り、大小の太刀をさすことを許されたことを表しているそうです。一般庶民には、苗字を名乗ることは許されなかった、武士は当然ですけれど、庶民では名主や庄屋さんでなければ資格はなかったとか。
確かに時代劇など観ていても、一般庶民が名字で呼び合っている場面は皆無です。
兎に角、江戸時代は武士が支配する社会でしたから、無理からぬことかも知れません。
明治期には平民にも名字を名乗ることが許され、廃刀令により帯刀は禁止されたそうです。
ところで、名字で一番多いのは、佐藤さん、鈴木さんがトップを争っているとか。
私見ですけれど、日本は豊かな自然に恵まれ、田圃や畑を耕す農家が多い、ですから、名字もその自然を取り入れたものが多いという気がします。太田さん、中田さん、山田さんと下に田が付く名字、多いですね。
小川、大川、山下さん、大木、杉山etc, 数え上げたらきりがありません.。
・・・と言うよりも、いきなり名字と言われても、誇りに思えるような先祖の家系を持たない庶民は、困惑。家から目に入る手近かなモノを名字に・・・となったのかも知れません。あくまでも想像です。
庭に松の木がある、細いから「小松」にしよう、太いから「大松」中くらいなら「中松」というような具合に。
名字をっ付けなくてはならない、という義務はなかったようですが、時代も変われば役所の届けなどにも名字を要求されるようになったのでしょうし・・・
愚にもつかない想像ばかりの私見で申し訳ありません。
因みに、私の実家は加藤、以前は「藤」がつくのは藤原家に起因すると言われていました。
嫁いだ先は、どうも水関係に起因するようです。
名字ばかりでなく、名前の方も、男子は「太郎」女子は「子」で終わる名前が殆どになりましたね。
昔は「田吾作」とか「権兵衛」なんていうのが主流だった?? 今はまた自由闊達、芸能人のような名前が流行っていますけれど。当家の孫もひ孫も、「太郎」「子」はついていません。
すみません、すっかり想像の世界に遊んでしまいました。
次回はしっかりとした記事を書きますから、ご勘弁を。
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チョット怖い話。
怖い話と言っても、お化けにはまだ早すぎますね。
もっと切実な「階級闘争」のお話しです。
過日、五木寛之さんの「孤独のすすめ」という新書を読みました。
いま、日本が抱えている重大な問題とは、少子高齢化の社会現象です。「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」 平 敦盛が作った幸若舞の一節とありますが、織田信長と結びつけて記憶しています。
そう、昔は人生50年だったようですね。
産めよ増やせよの掛け声は、戦時中から?? いつの間にか、人生100年の時代になってしまいました。
引用させて頂きます。
(かっては、人口ピラミッドの頂点近くに存在するに過ぎなかった高齢者。それがいまや、「日本人の四人に1人は、65歳以上」という状況になりました。)
医学の進歩で、殆どの病気は回復、高齢者のやるも気意欲も満々、ところが私自身も含めて年金生活者を支えてくれているのは若年層。それが子どもを作らないんですから、先細りは目に見えている。
若年層軍 対 高齢者層軍の対立が、近い将来に現実のものになってくる・・・と言うわけです。
少子化時代の人たちが、高齢者になったとき、ようやく採算が合うそうです。
よく考えると、怖いハナシではありませんか?
余韻を引きずりながら、珍しく本屋さんに寄りました。
なんと、驚いたことに 高齢者層向けの本の売り場がかなりのスペースを占めていました。
どうしたらボケないか?の類の本が一杯❣ ボケ防止の料理本、生活習慣、ボケないゲーム等々。
全ての本屋さんに共通とはおもいませんが、いささか圧倒されました。
書いている当人が、すでに91歳、今のところ膝の不具合を除いては、健康に過ごしていますが、これだけは書いておくつもりです。
「助からないと分かったら、延命治療は必要なし!」
チューブ人間になってまで、生きていたいとは思いません。父は「輸血をすれば延命できる」と言われたのをキッパリと断って、103歳で昇天しました。
日本でも安楽死希望の高齢者の願いを受け入れるべきではないかと思います。
話しが逸れました。高齢者の年金を負担している少子化時代の若年層のためにも。
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前回、頂いたコメントにお返事を書いて置いたのに、また、幾つか消えてしまっていました。
このパソコンも、かなり高齢化??どうぞ、お許しください。