今年もあの曲が。 [blog]
兄から電話。
「FMで第九、最後の合唱が始まるよ、なかなかいい演奏だから
よかったらどうかね?」
この時期、ジングルベ~~と共に、必ず放送されるのがベートーベンの
「交響曲第9番」特に第4楽章の合唱部分が、約束事のように演奏
される。何気なしに聴いていたが、何故だろう??フッと気に
なった。
1918年、徳島県の鳴門市にある板東捕虜収容所で、ドイツ軍の捕虜た
1918年、徳島県の鳴門市にある板東捕虜収容所で、ドイツ軍の捕虜た
ちが人間愛や世界平和を願って、年末に歌いはじめたのが最初とか。
歓喜と自由(フライハイト)溢れた合唱部分を、所長の松尾某が許可
したという。
第一次世界大戦は、1914年から、1918年の11月まで、中央同盟国
と連合国の間、日本は連合国に属していたと。大正天皇や原敬など
の名前が浮かぶが、詳しい事情はさすがに、生まれる前の話、
調べる気もしない。
まあ、兎に角、発端はそこにあることが分かっただけで満足。
ドイツの東西の壁が崩壊したときも、この合唱部分が現地では
盛んに歌われたという。
いつの間にか、日本人の間でも歓喜の歌として、太平洋戦争のさなか
1943年、学徒出陣の壮行会で歌われた事実が残っている。
ベートーベンが第九を作曲した頃は、すでに聴力がかなり衰え
ていたらしい。教会の鐘が鳴っているのに、自分には聞こえない、
作曲家としての寿命を感じたに違いない。
とにかく、この合唱部分を聴くと、年の瀬を感じる好きな曲である。
昔はこんなことしてあそべたのになぁ。
まあ、ボチボチいきましょう。
歓喜と自由(フライハイト)溢れた合唱部分を、所長の松尾某が許可
したという。
第一次世界大戦は、1914年から、1918年の11月まで、中央同盟国
と連合国の間、日本は連合国に属していたと。大正天皇や原敬など
の名前が浮かぶが、詳しい事情はさすがに、生まれる前の話、
調べる気もしない。
まあ、兎に角、発端はそこにあることが分かっただけで満足。
ドイツの東西の壁が崩壊したときも、この合唱部分が現地では
盛んに歌われたという。
いつの間にか、日本人の間でも歓喜の歌として、太平洋戦争のさなか
1943年、学徒出陣の壮行会で歌われた事実が残っている。
ベートーベンが第九を作曲した頃は、すでに聴力がかなり衰え
ていたらしい。教会の鐘が鳴っているのに、自分には聞こえない、
作曲家としての寿命を感じたに違いない。
とにかく、この合唱部分を聴くと、年の瀬を感じる好きな曲である。
昔はこんなことしてあそべたのになぁ。
まあ、ボチボチいきましょう。