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たかがゲーム、されどゲーム・・。 [日常、犬、時事問題、家族]
パソコンのご機嫌は悪いし、新しいのに買い替えるのはもうよろしかろう、身障者、外出もままならず、話題もないし、多くの方たちのように、写真は上手に撮れないし・・・悩みは果てしなく。
と言うのは、真っ赤な嘘っぱち、いつもお話ししているように、I Padの手軽さにすっかりはまり込んでしまったのが、本音かもしれません。
ブロ友さんも数名、記事をアップされているので、そちらでお付き合いは続けられますし・・・
何よりも嬉しいのは、内蔵されているゲームの数が多いこと。
自分で言うのもおかしな話ですけれど、夢中になると、面白いゲームは毎日数回、繰り返し、お気に入りはとうとう1500回近く、「もう勘弁してくださいよ~」ではないでしょうけれど、繋がらなくなってしまいました。
どなたもご存知の、ソリティアは{王様から数を並べていくゲーム}は、長椅子に寝そべって、1日数回は繰り返しています。かなり頭の体操にはなっているような気がしています。
誰にも気兼ねの要らない1人暮らし、(二階に長男夫婦は住んでいますけれど、毎日、二人ともご出勤で)ある意味では自由を謳歌できる結構なご身分ともいえるでしょう。
ものごと、プラス思考で考えると、身障者でなければ出掛けもするでしょうけれど、それも、儘ならず、ウチでノンビリ、ゲームに熱中できるのは幸せだなぁ~、本当に呆けてしまったらそれも出来ない、
I Padさまさま、ゲームさまさまの毎日を送っております。
91才の婆さまブロガーにはふさわしい毎日、いえいえ、次回はマジメな記事をアップする予定です。
忘れてならない日 [日常、犬、時事問題、家族]
新聞はお読みになっていらっしゃいますか?最近は月極めで新聞を取る人が随分、減ってしまったよう
です。
私如き、年寄りは、ニュースを求めて、新聞の印刷の香で、オメメパッチリになるというわけです。
さて、今日は3月10日、「あの日のニュース」を期待していたのが、見事に裏切られ、11日に起こった
東日本大震災、あれから13年の記事が、一面のトップを飾っていました。原発の汚染水問題などもありましたし、犠牲者の方々の数も膨大、それはそれで、納得出来ないではありません。
私が期待していたのは、「3月10日の大空襲の日」に関するものでした。
お若い方ばかりなので、無理もありませんけれど、決して忘れてはいけない日なのです。
アメリカ軍は「リメンバー・パールハーバー!」をうたい文句に、日本軍の奇襲を非難しましたけれど、パールハーバーは軍事基地、対する原爆や、3月10日の東京大空襲は、軍隊とは関係ない一般人が
多数、犠牲に晒されたのです。
中学3年生??だったと記憶していますが、窓から眺めた遠く東京の下町の空は真っ赤!!
不気味な音を立ててB29爆撃機の編隊が、縦横無尽に飛び交い、パラパラと爆弾をまき散らして・・・
これだけの大惨事をもたらした空襲だったのに、新聞には一行の記事もなく。
正午のニュースで、初めて付け足したように短いニュースが流れ、まぁ、いいかッ、と納得した次第です。
勝てば官軍じゃありませんけれど、戦争はもう二度とゴメンです。
改めて、3月10日の、東京大空襲を思い起こした、蒼く澄み切った空でした。
今更ですが、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
ドッコイ、生き返りました!
前回の記事アップが、2月22日、約2週間のご無沙汰、下らない記事ばかりですけれど、こんなに空いたのは初めてかな??
いやいや、年はとりたくないもんです、チョイと風邪かな??と思ったのが大間違い、熱は出るわ、頭痛に悩まされるわ、食欲不振、我慢ならずに医者に駆け込む・・・
幸いにも、風邪をこじらせただけで済みまして、ホッ!!
インフルエンザでも、コロナでもなく・・・話飛びますけど、コロナ是か非か、調べるの痛いですね、いきなり鼻の奥まで綿棒を突っ込まれて。
お薬頂いて、徐々にではありますけれど、元気になりました。
幸いにもIPadをもっているので、ブロ友さん数人とは交流もあり、助かりましたが、やっぱり本命は
パソコンで・・・ですね。
昨日は久し振りに、二本の脚で散歩もできました。無理せず、マイペースで、元の健康を取り戻して参ります。90才を境に、体力の衰えをしみじみと感じたご報告ブログでした。お粗末。
オカアチャン、こんな具合だったのかなぁ???僕が生きていたら面倒みられたのになぁ。
「嘘つけ~~ッ!」
ニックネーム、お持ちでしたか?
先日、久しぶりに学生時代の友達から電話がありました。
「オツ、久しぶり、お元気??」
懐かしい昔のニックネームで呼ばれて、ひどく感激しました。
ハンドルネームのokkoも、それに近いのですけれど。昔から、オツ、オツと兄にも呼ばれていました。
一番最初のニックネームです。小・中学時代は戦争真っ只中、ニックネームとは縁のない時期でした。
高校生になった時、「スーツ」と言うニックネームが私を待っていました。
セーラー服を持っていなかったので、母お手製の紺のスーツ姿で登校、余程、目立ったのでしょうか
別に嫌がらせ気分でもなく、「スーツ」をすんなりと受け入れることができました。
先生までもが、「スーツさん、次の文章、読んでください」でしたから、和気藹々のニッネームだったことは確かです。
大学を卒業して就職、自分が作成した文書には、苗字と名前を二文字のアルファベットで署名すること、という決まりがあり、苗字を略して「K・T 」とサイン。みんなに「ケティ-さん」と呼ばれる羽目になってしまいました。
「ケティ-さんって、2世なんですか??」 新入社員に言われたほろ苦い経験もありました。
最後に頂いたのは、「ゴボウちゃん」 そうです、野菜の牛蒡です。
結婚して、二児にも恵まれ、彼らが小学生、手も掛からなくなった頃から、殆ど毎日のように通い詰めたのが、テニスコートでした。手入れの行き届いたクレーコートで、いい汗をかきました!
その代り、日焼けもすさまじく、サンバイザーを被っていたも、手、腕、脚は真っ黒に日焼け、取り分け、短いスコートの下から丸出しの脚はコンガリを通り越して、真っ黒に・・
そうです、牛蒡を連想させる程になってしまいました。誰言うとなく、「ゴボウちゃん」と呼ばれるように。今、この年になって、色白になっても??偶然、出先で当時のお仲間に会うと、
「あら、ゴボウちゃん、お元気??」大きな声で呼びかけられるのには、閉口しています。
アナタはどんなニックネームで呼ばれていらっしゃいましたか??
親の遺伝子、受け継いでますか?
ご両親の遺伝子、受け継いでおられますか??
私の場合は、母の遺伝子を強く受け継いでいるように思います。
それも、あまり良い面ではなく。
第二次世界大戦後、職業軍人だった父は、運に恵まれて、103才の長寿を全うしましたが、母の方は
不運続き、50代半ばで胃癌が発見され、全摘手術を受けて以来、胆石手術etc、まるで疫病神に取り付かれたように病院を出たり入ったりの晩年でした。
足袋のこはぜを嵌めようとして、椅子から転落、大腿骨骨折してからは寝たきりの状態、最後は
錯乱状態に陥り、83才で息を引き取りました。
「自分のベットで死にたい」「梅の花を見てから死にたい」
白梅の開花を確かめて、自分のベットで・・どちらも思い通りに運んで満足だったでしょう。
私も病歴の方では、しっかりと母の遺伝子を受け継いでいるようです。
胃癌で胃は三分の一になり、不注意からとは言え、転んで膝のお皿真っ二つ、身障者のお仲間いり。
こちらは乳癌の手術と、おまけまで付いて( ^ω^)・・・
母と同じく、自分のベットで息を引き取りたいと思っていますが、どうなりますことやら。
ケ・セラ・セラです。
病歴だけではなく、可笑しな遺伝子も母から受け継ぎました。
最後を迎える前、母の顔をマジマジと見つめていると、顎に細い髭?が一本、ユラユラと・・
そして今、私の顎にも同じように細い髭が一本!!!
切り落とす気は毛頭ありません、母が見ているような気がして・・。
2月21日、間もなく命日を迎えます。
あなたは、親御さまの遺伝子を顕著に受け継いでおられますか??
今日は何の日?
降りましたよ~~!
降りましたよ~~、雪が! 騒ぐでない!と叱られそうですけれど、雪と雨だけならば、まだ驚かないのに、雷さんまで仲間入り、その賑やかな事と言ったら・・一晩、まんじりともせず睡眠不足になりました。
明けて昨日の朝、外は一面の雪景色・・・と言っても、積雪7センチ程でしかありませんでしたけれど。豪雪地帯でお暮しの方たちから見たら、笑われてしまいますね。
つい最近までは、雪ウサギを作ったりしたものですけれど、流石にもうその気にはなれず・・。
二階に住む長男が、綺麗に雪搔きをしてくれました。交通網も影響を受け、アチコチで電車が不通に
なったり・・・東京という大都会、雪にはその脆さを露呈した感じです。
大人しく一歩も外には出ずに過ごしました。
画像が大きすぎたかな、玄関先から写しました。
いつの間にやら・・・ [日常、犬、時事問題、家族]
1月も末の31日に、91才の誕生日を向かえました。目出度くもあり、目出度くもなしの心境です。
2人の息子、それぞれに祝ってくれて、有難いことでした。
身障者ですが、自分のことは全て1人で出来ますし、あまり実感はありませんが、きっと目に見えない
ところで、ガタが進んでいることでしょう。
父が103才まで長生きしましたから、血統を受け継いでいるのかも。
父は職業軍人でしたから、体調を崩して入院したとき、輸血をすれば助かると言われたのに、
「戦場で、沢山の血を流したのを見ている、もう他人様の血を頂いてまで生き延びる気持ちはない。
その代わり、毎日の食事を減らしていって貰いたい」
病院側は、その願いを聞き入れてくれ、最後は鳥の餌みたいなものを・・・・。
あっぱれ、自然死を遂げました。
私もその手で行きたいと思います。最後に「みなさん、サヨナラ、サヨナラ~~~!」とブログを
閉じて・・カッコイイ~~~ッ!
何をバカなことを書いていることか・・・。
取り敢えず、今しばらく、お付き合いのほど、隅から隅まで、おん願い奉ります!
自由の女神のように、自由に生きましょう。
日本語は難しいですね~~。 [日常、犬、時事問題、家族]
以前、日本語教師をしていたことを書いた記憶があります。
その時に、アメリカ人の女性が、「敬語から入ってしまったので、普通の方のような日本語を
教えて頂きたいのでございます」の悩みにビックリ!
確かに日本語とは、話すことにおいても、かなり複雑ですねぇ。
そこで考えました、書く方はどうだろうか??と。
矢張り、かなり複雑且つ難しいです。
英語のアルファベット勿論、外国の文字は一つしか型がない、英語の場合は24文字のアルファベット
の並べ替えだけで事足りている、まあ、それも大変でしょうけれど。
ところが、日本語には、カタカナ・平仮名・漢字と三種類もの文字があります。
何の抵抗もなく、使いこなしているというのは凄いことだと思いませんか??
パソコンも心得たもので、ちゃんと使い分けて候補を教えてくれますし。
私も知りませんでしたけれど、以前は横並べに書くときは、右からだったようです。
FBに「足利学校」に関する投稿があり、それを拝見すると「校学利足」と古い看板が・・・
ビックリしました。そんな時代は何年ぐらい前だったのでしょうか???
相変わらず、あまり意味のない記事になってしまいました。
最近は、手書きをする人も少なくなりましたが、学校ではチャンと、この3種類の文字を教えて
いるのでしょうから廃れることはあり得ませんけれど。
前々回に続き、アフリカ旅行、ビクトリアの滝です。
ボランティア活動、経験ありますか?? [随筆]
ボランティア活動、二回ほど経験しました。
第一回目は、「病院ボランティア」それも小児病棟での仕事?でした。
子供、と言ってもまだ頑是ない年齢、親のぬくもりを離れて、入院を余儀なくされ、心細い毎日を送っているに違いありません。
その子供たちと一緒に、歌ったり、本を読んで聞かせたり・・こちらも結構、楽しませてもらいました。
二回目は、香港在住中に赤十字に出向いての仕事。
何と女性の生理用品を作る、如何にも香港らしい???ボランティア活動でした。
無償で人の役に立つ仕事をするのがボランティア活動ですね。
今回の能登半島地震災害にも、沢山のボランティア団体が被災者のお世話に入っているようですが、
先日、テレビを付けてみたら、個人でそれを実行されている有名人お二人を紹介していました。
1人は世界的にも有名なアルピニスト野口 健さん、トラックの荷台一杯になるほどの生活必需品を現地まで段ボール箱に詰めて。ご当人も現地入り。
もう1人は、俳優の杉 良太郎さん。こちらはお手製の丼物を。ホカホカ湯気の立っているのを、完全自腹の炊き出しで被災者に、手渡しておられました。
売名行為だ、との批判にも負けず・・・・さすが~~、チャンバラ大好き婆さんは感動しました。
まあ、金持ちだから出来ることさ、という声も聞かれそうですけれど、なかなか実行に移せるものではありません。
無償で困っている人たちのお役に立つ行動に出る、海外ではかなり普及していますけれど、日本は??
まだまだ、募金に応募するくらいが精一杯、身を持って実行する人は少ないようです。
今日は大真面目な記事になりました。これにて失礼、チョン。
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