前の10件 | -
笛吹き老女(続) [随筆]
弦を擦る、或るいははじいて音を出す楽器は、古代ギリシャに今のハープに近い楽器で、キタラと呼ぶ物があったらしい。物を叩いたり、吹いたりして音を出すよりはその複雑さゆえに少し遅れを取ったのかも知れない。太い糸の端を口で挟んで弾くアイヌ民族のムックリなどは、弦を使った楽器のはしりと言えるだろう。
現代は、最後に出現した弦楽器が巾をきかせていて、オーケストラの中では、一番古い筈の叩く楽器、すなわちドラムやシンバル、トライアングルの存在感がいささか薄れてしまったようである。もともと鍵盤を叩く楽器だったピアノの演奏方法も多様化してしまった。シンプルから複雑さと難解さに進むのは自然の流れなのだろうか。
話しがすっかり逸れてしまったが、シンプルさを求めた楽器探しがすぐにフルートに結びついたわけではない。自分より一回り年上の知り合いが60歳をすぎてからギターを始められたと以前に聞き、年をとってからそういうのも悪くないなあ、と憧れていたので、先ずはギターを考えた。しかし、楽器が大きすぎて置き場所に困る、持ち運びも大変だという現実的な問題が壁になった。次に6本の弦を使い分けたり、何本かを同時に押さえて1つの音を出すということは、それだけ楽器が複雑になりピアノと同じ破目になりかねない。
この二つの問題をクリアするシンプルな楽器とは?と考えた時に笛が頭に浮かんだのである。笛と一口に言っても、縦横、長短がある。第一、いくらサイズが合格でも教えてくれる人がいなければどうにもならぬ。いろいろ調べてみると、幸いなことに電車で一駅先にヤマ〇音楽教室があり、大人向けの、いわゆる趣味でフルートを始めたい人向けの講座があることがわかった。
さっそく教室を訪ねて個人レッスンの見学をさせてもらった。案の定、楽譜は一つの音を読み取ればよくて、頭にも目にも優しそうだ。持ち運びの方も、90センチ×40センチほどの長方形のケースだから問題ない。
入学の手続きを終え、フルート専門店で銀(メッキ)色に輝くフルートを買った。
初レッスンは、ヒーともフーとも音が出なかったが、二カ月半過ぎた今は小さな曲ならば吹けるようになった。目的をもって指を細かく動かすのは老化防止にいいわよ、と友達は言ってくれるが、それは結果論であって、今はただ興味深々に楽しく指を動かしている。
フルートの音色は、どこかのんびりとして穏やかである。ルイ十四世の時代、ベルサイユ宮殿でも演奏されたというこの優雅な楽器は、恐らく自分にとって最後の趣味になるだろけれども、酸欠で倒れるまで付き合ってみたいものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今から26年も昔のお話しでした。体力も減少する一方で、もう無理!と分かったのは何才の時だったでしょう、買ったフルート専門店に持って行き、相談をすると下取りをしてくれました。流石は老舗!と感心したものです。
貴方は楽器を演奏されますか? 読んで頂き有難うございました!
おかしいな事になりました!!
今日11日に続きを書いて保存したのに動いてくれません。明日、もう一度試してみます。
ゴメンナサイ!!
笛吹き老女 [随筆]
フルートを始めた。66才の手習いである。
25年間、テニスコートを走り回っていたのが、膝のお皿を割ると言う最悪の事態を経験してラケットを捨てざるを得なくなった。だが、これが案に相違して「おかげさまで」になった。たまたま体力の限界を感じ始めていた時だったから、骨折はいい機会を作ってくれたことになる。
人には、それぞれにその人なりの生活のリズムがある。テニスを失った自分の生活リズムが著しく狂ってしまった事は確かだ。一週間単位で考えても、空白の時間が驚くほど増えてしまった。だからと言って、遠くまで出歩くのはとても億劫で、近所を散歩するか日用品の買い物程度になってしまう。
これは何とかしなければと、1人ひっそり家にいた時、どういうわけか急に頭に閃いたのが、
「音がほしい」だった。CDやラジオ・テレビから流れてくる音を受ける側ではなくて、自分で音を出してみたいと思ったのである。ピアノはあれど、この年になると指の動きが複雑で・・・・もう少しシンプルなものに帰るべきではないかと考えた。
シンプルと言えば、そもそも一番素朴で原始的な音楽は、物を叩くことに始まったと思う。それはメロディーがなくてもリズムさえあればよかった。大昔の人たちは、何かを叩くことによって信号を発したり、情報の交換を行っていた。それが太鼓という整った形になったのは何時の頃からなのだろう。
その次にシンプルといえば、「吹く」動作だったとおもう。口笛に始まって草笛、竹笛、縄文遺跡からは石に穴をあけた笛状のものが発掘されたとも言う。この二つのシンプルな音は祭囃子や鼓笛隊、更には、歴史を振り返ればほら貝に陣太鼓、近世になれば軍隊の行進も太鼓に笛の吹奏楽で歩調を合わせたように、シンプル同士相性がいいようである。起床ラッパに突撃ラッパは我々世代の記憶にも新しい。
ラッパの語源は、サンスクリット語だそうだが、スコットランドにもバグパイプという、士気を鼓舞する吹奏楽器があった。
三が日も過ぎ去りました
暮れのご挨拶をしたばかりと思っている内に、もう今日は四日
手を濡らさずに、大晦日の年越蕎麦も、元旦の全員集合も、みな二階の長男宅にお任せのズボラ婆さんでした。
有難いことです。全員集合は孫、ひ孫も含めて12人、この年まで幸せに過ごせたことに感謝です!
自分のことは自分で・・を目標に今年も頑張って見ます。そろそろお迎えが来てもいい年になりました。ブログのお引越しは考えていません、FBにソネブロでご一緒の方も何人かいらっしゃるので、親しみやすいです。
とは言いながら、3月一杯は、こちらで拙い文章を発表する予定なのでそれまでは・・・・
隅から隅まで~~、よろしくおん願い奉りま~~~す!! チョンチョン!!
あら、可愛い??お嬢ちゃん!誰かしら?
今年もお世話になりました!!
顔 [随筆]
顔は無防備である。
大怪我をして包帯をグルグル巻きにでもされぬ限り、どんな時でも剥きだしである。手や足も無防備と言えなくもないが、手袋があり靴下がある。溶接工事に携わる人など特殊な場合を除いて、我々が無理に顔を隠そうと覆面でもしようものなら、銀行強盗に間違えられかねない。ではないにしても、あまりよいイメージにはつながらない。その場合も目だけは隠すのが難しい。目は口ほどにモノを言ってしまうから厄介だ。
顔は正直者である。
夫が冗談めいた嘘をついても必ずばれる。
「どうして嘘ってわかった?」
「だって、鼻の穴がふくらんでヒクヒクしていたもの」
リハビリの先生は、ときどき私の顔を見ながら膝の屈折運動をしてくださる。どんなに我慢しようとしても、顔は正直に「痛い!」と訴えかけるからだと言う。
電車の中での観察もなかなか面白い。手前勝手な想像が混じってしまうのは勘弁して頂くとして、乗客の顔からさまざまに空想をふくらませるのは私のひそかな楽しみである。
左右に大きく舟を漕いでいる人の顔からでも何かが読み取れる。少なくともそれが健康な眠りであるかどうか、顔色や生気の有無に正直にあらわれてしまうからだ。
顔は正直者だが、同時に裏切り者でもある。
ポーカーフェイスと言う言葉があるように、人間は顔で笑って心で泣ける器用さを持ち合わせた生き物なのだ。
なかでも笑顔は一番の曲者である。腹の中が泣いてばかりいるとは限らない。媚びるようなセールスマンの追従笑いなどはその典型である。卑屈な笑顔には毒があり、お愛想笑いの腹のなかはどうも真っ白とは言い難い。
「神秘的な微笑」と異国人が不思議がる日本人独特な笑顔からは、なかなか本心は汲み取りにくいだろう。
知らぬ顔の半兵衛を決め込む無責任な顔も、最近はウヨウヨしていて嘆かわしい。
顔は無防備であるが故に、風や太陽光線に晒され、時には雨や雪に打たれる。素材としては、かなり荒っぽい扱いを受ける運命にある。
そこで、自然の外敵から大事な素材を守るために、人間は帽子をかぶり、保湿だ、紫外線カットだ、
サングラスだと、出来る限りの手を尽くして防備に努めなければならない。顔は人間の表看板だからである。
表看板はいつもピカピカに磨いて人目を引かなければ意味がない。
女性のほうは、カラフラな化粧品を駆使して美しく化けてしまう。その上に、顔をいっそう引き立てようと、イヤリングを付けたり、髪の毛を染めてみたりする。(予想とは反対の結果に終わる場合も多いのだが)
男性の方は、若者は別として、髭剃りとその後のローションぐらいしか磨きかたはない。
ところで、剃るという行為の一方で、髭を蓄えるというのは男性の特権であり、これは表看板をより重厚に見せる手段でもある。
私の祖父は、ご自慢のカイゼル髭のお手入れに小一時間はかけていた。
当世の髭は昔にくらべておとなしい。若い男たちは髭にあまり興味がなく、もっぱら耳や鼻、唇にまで穴をあけてピアスを付けることのほうに熱中している。眉毛の剃り込みや、茶髪、金髪はいまや常識だが、あれは大事な顔をオモチャ代わりにしているとしか思えない。
かっては、機能的に不自由な場合に限って形成外科で治療をしてもらった顔が、今はより美しくを目的の美容整形が花盛りと聞く。
身体髪膚これを父母に受く、などと古めかしい格言は通用しなくなってしまった。通用はしないのだが、生まれたままの顔をあまりいじくりまわすと、全体のバランスが崩れてしまうのは確かだと思う。顔の美醜はカタログで決められるわけではない。大切なのは顔ではなく心である、と言うのも使い古された表現ではあるが、真実でもある。
ここまで書いて、フッと鏡を見た。
目が充血している。さらに顔を寄せてみた。シミや皺が増えたこと。しかしこの顔はどう見ても縄文系だなぁ、などと観察しているうちに気がついた。
人は絶体に自分の顔を、直接自分の目で見ることは出来ないのだと。鏡に映った自分の顔は、第三者が客観的に見る顔とは違う。ためしに、鏡の中の友だちの顔をよく見てみると、それは普段見慣れた顔と全く同一とは言えない。微妙にずれて見えはしないだろうか。
本当の自分の顔はいったいどんな顔なのだろう?
だいぶ以前に、東野圭吾著「分身」を読んだ。人間創造の聖域に踏み込んだクローン人間の話である
もしもこの小説の通りになって、ある日、自分と全く違わぬ老女が目の前に現れたら、自分の顔は確認できるけれども・・・未知の世界は興味津々でもあり、恐ろしくもある。
人の第一印象は、だいたい顔かたちで決められる。自分の場合は、最初の挨拶を交わした時に一瞬ゆるむ相手の表情が大切である。
表情豊かな人は、顔立ちの如何にかかわらず魅力的だ。
好きな役者に田中邦衛さんがいる。決して美男子とはいえないが、この人の顔の筋肉の動きからは目が離せない。役の上だけではないお人柄が出ているからだろう。
自分の顔は正直者であって欲しい。心を裏切るようなことはしないで欲しい。そのためには、やはり人間を磨くことしかなさそうだ。
穏やかな顔のまま、目を瞑れるようにまだまだ修行が必要である。
いい顔でお迎えを待ちましょ( ´艸`)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これもだいぶ前に・・・夫がまだ生きていますものね。それに毛を染めるは健在ですけれど、最近の若者はさすがにピアスを付けたりはゼロでしょう?
そう言えば、先日テレビを見て居ましたら、最近は男性もお化粧をする人が多いとか、信じられませんでした。長駄文、読んで頂いて有難うございました。
お箸を上手に使えますか? [随筆]
栗が美味しい季節を迎えた。ある朝、テレビを見ていると、岐阜県の中津川村で恵那栗を収穫している映像に出あった。棘だらけの大きな実が、口を開いて地面に落ちている。ぱっくり割れた実の中にはツヤツヤした栗が3個、きっちりと収まっていた。どうやってこの栗を取り出すのだろう?興味深く見ていると、農家の男性がゴム長の踵で棘だらけの方をしっかりと押さえて、栗を取り出し易くするように全体を広げていく。栗を取り出せるほどになると、手に持っていた火挟みを使って、ぴったりとくっ付いていた
三個の栗を、器用な手つきで挟んでは傍の籠にいれていた。少なくとも見ている間には一粒も落とさなかった。
子どもたちが幼稚園のころ、栗拾いとお芋掘りが秋の行事には欠かせなかった。あの時、農家の人たちはあらかじめこんな風にして、栗をばら撒いて置いていたのだろう。幼児の手に棘は恐い。
そして、私の記憶はもっと古い遊びを思い出させたのである。
「どっちが沢山拾えるか、競争よ、ヨ~イ・ドン!」の母の掛け声で、煮豆拾い競争が始まった。5・6才の頃だっただろうか。この競争は箸を上手に使える方が勝ちにきまっている。競争に勝ちたくて、私は一生懸命に箸の正しい使い方を練習した。
煮豆を卒業すると、今度は乾燥した大豆、次にアズキと摘まみにくい物に教材が変わっていった。あくまでも、豆挟みゴッコという遊びの形で。おかげさまで私は箸を上手に使いこなせるようになった。遊びながら箸の正しい使い方を教えてくれた母に、、今頃になって感謝したり感心したりしている。茶碗の持ち方にしても同様である。薬指と中指の間に糸底を挟み、逆さにしても落ちなくなるまで・・・
やはり遊びを通して教えて貰ったに違いない。
栗をきっちり挟んで取り出す作業を見ていて、突然、過去の遊びが懐かしく脳裏をすぎたのである。
昨今の若い人たちの箸捌きを見ていると・・・・ああ、あれでは乾燥豆は生涯卒業不可能ですな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
92才になる今でも、懐かしく思いだします。高価なオモチャは無くても、躾を兼ねた遊びはいくらでもあるものですね。この記事もだいぶ以前に書いたものです。有難うございました。
クレジットカードの功罪 [随筆]
来ました、今月も。月末の「カード利用代金明細書」が。
あの時、家族と一緒に楽しんだ天婦羅の上コース、あれはまだいいとして、薦め上手な店員の口車にのせられて、衝動買いをしてしまったイタリア製のバッグの方は、止めにしておけばよかったと、返す返すもうらめしい。
もともと「ツケといて」と言うのが嫌いな性格である。結婚した当初、魚屋も八百屋も酒屋も、
「奥さん、ツケでいいッすよ」と言ってくれたが、食べたり呑んだりしてしまったものに後で纏めて支払いをすると、「何を今更」と損をしたような気分になる。それが嫌だった。勝手な言い分である。
それにしても、通い帳が台所にぶら下がるようになったのは何時の頃からの風習なのだろう。ツケという習慣は、相互の信頼感の上に成り立っている点ではクレジットカードと共通する。ただ、両者の決定的な相違は、ツケの方が月末には現金という、目にも手にも確かな形で返済されなければならないという点にある。
気のせいだろうか。この頃は現金の存在感が驚くほど軽くなったと思うことがある。ひと昔前、茶封筒に入った給料は、中身の額にかかわらずズシリと重く、その現金は自分たちのためにだけ、特別に作られた物という愛着があった。大切に使わねばと心に銘じたものだった。銀行に振り込まれる給料はどんな顔をした紙幣なのだろう。自動引き出しのボタンを操作して出て来る現金は、どこかよそよそしく、無機質である。
自分の知らないところで、カード一枚で自分たちの現金が宙を飛び回る。考えてみれば、ドライにお金を使えるということなのだが、宙に浮いている現金には汗と脂の沁みついた存在感が全くない。
しかし、昨今カードの一枚ぐらいは持っていないと格好が悪いし、第一に便利なのだから、と遂に作ることになった。それは金色にピカピカ光っていて、弱い人間たちを誘惑してやるぞ、と挑みかかってくるように見えた。
若者はカードでせっせと物を買う。通帳の残高も確認せずに欲望の赴くままに流される。カード破産という新語が生まれる。クレジットカードは確かに便利である。だが、油断をすれば、自分の首を絞めかねない悪魔にもなる。便利さを選ぶか、悪魔を選ぶか、人間の知性と自制心が問われる所だろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これも昔の話です。苦い思い出があるからです。その話はなかったことに・・・。
今は持っていません。それにしても、カードで現金を引き出すと、どれもピカピカのピン札なのには驚きます。人間味がないようで・・・勝手な言い分でした。
日曜日の過ごし方 [随筆]
日本人はいつから日曜日を休むようになったのだろう。
というのも、先日、テレビで時代劇を見ていて、江戸時代の休みの決まりはどうなっていたのかな?と思ったからである。大工の熊さんは雨が降れば、魚屋の太助さんは時化が続けば休むより他に仕方がなかっただろうが、城詰めや奉行所の役人たちは何時休んでいたのだろう。興味をおぼえて図書館に出掛け、ざっと調べてみたのだが、江戸時代の時間の割り方は出ていても、休日についてはそれらしい説明は遂に発見できなかった。あて推量で考えてみれば、働き手の労働時間は夜明けから日没まで、電気のない時代だから花街あたりは別として、暗くなれば寝る、眠りが充分ならば年中無休で働いていた、ということになる。江戸時代に詳しい人に聞けば即座に明快な答えが返ってくるだろう。
キリスト教文化、言い換えれば西洋文化を大々的に取り入れた明治の新政府が発足した時から、
「日曜日は休日よ」と言うはっきりとした形が出来上がったのかも知れない。
考えてみれば、日本人は無意識のうちにキリスト教社会の日常習慣に従って生活している。日曜日とは、天と地と生物を創造した神が、働き疲れて休んだ休息日であり、キリスト教徒が、教会へ行って神への感謝を捧げ、モーゼの十誡にある通りに休息するのである。休息することが信仰の証しであるからだ。
キリスト教徒が日本の人口に占める率は定かではないが、昨今は、日曜日に教会へ行く敬虔な信者の数は減りつつあるのではなかろうか。キリスト教文化が圧倒的に優位を占める地球上にも、イスラム歴やヒンズー暦、農歴などを各々の文化としてかたくなに守っている国々もある。だが、粗方の日本人は何の疑問も抱かずに、日曜日は朝寝坊をしてのんびりと過ごせばいい日だと決め込んでいるようだ。が、それはそれでとやかく言うことでもない。
日曜日の過ごし方は人それぞれである。
「毎日が日曜日」に近い日々を送っている往年の企業戦士を身近に見ていると、いまさら「日曜日」と言われても取り立てて感慨もない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今年もやって来ましたね、クリスマスという年中行事が。もはやキリスト教文化とは全く異なった行事になってしまいました。みんな分かっているのかな~~?私の子供時代は、まだまだクリスマスの影は薄く、お正月のお年玉を待ち焦がれる年末でした。
このエッセーは、当家の主が定年直前に書いたものかと??ずいぶん昔の話でした。今、読み返すと訂正したい箇所もありますが敢えて、原文通りに。有難うございました。
ジングルベ~、ジングルベ~、鈴がなる~~♪(^^♪
もしも生まれ変われるとしたら?? [随筆]
もしも生まれ変われるとしたら?? 人間はもういい。
わが人生に悔いなし、とはいかないが、人間は取り敢えず卒業したいという心境である。
生まれ変わる、「生」と言う字があるからには、生き物でなければならない。としたら動物と植物と、どちらの方がいいだろう。キョトンとこちらを見上げているペット犬も悪くない。舐めるように可愛がられて、死ぬまで食べるものの心配もない。だが、これでは生かされているというだけで、目的意識もなにもない。もっとも、犬になってそこまで真剣に考えるかどうかは疑問だが。
植物はどうだろう。原生林ですくすくと育つ木、やがて樹齢を重ねて見事な大木になる。だが、これもいつかは倒れる。大体そこまでいかぬうちに、私が生まれ変わった木などは、人の手にかかり、さしずめ割り箸が爪楊枝にでもなってしまうのがおちだろう。
生き物に生まれ変わってもいつかは死が待ち受けている。死ぬのは一度で沢山だ。それでも、どうしてもと言うことならば、五冠馬シンザンみたいな競争馬がいいかも知れない。生まれも育ちもよく、富と名誉を手に入れ、種馬としての役目も果たしたあとは、余生をのんびりと牧草を食んですごし、人間でいえば百歳の長寿を全うした。世話係りに添い寝をしてもらい、立派な追悼会もしてもらった。ペット犬と違い、意義ある人生ならぬ馬生を送ったわけである。
ところで、もしも「生き物」以外のもの、無機質で、死んだり壊れたり、廃棄処分にされたりする心配のないものなってもいいのであれば、私は「山」がいい。
「今度、生まれ変われるとしたら何になりたい?」と聞かれるたびに、いつの頃からか「絶対、山になりたい」と答えるようになった。それも出来ればエベレスト級がいい。ゴミ問題が最近話題になっているが、削り取られてゴルフ場にされたりする心配は金輪際あるまい。
山に死があるだろうか??噴火は山の成長の過程であって、ある日突然、山がこの世から姿を消したりはしない。
いろいろゴタクを並べても、結局のところ、死ぬのがいやなだけの、年寄りのささやかな逃げ道をあれこれ考えているに過ぎないのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これも古い昔に書いたモノと、読み返してみて思います。シンザンなどという馬をご存知の方は少ないでしょう。 山の他に海も永久に滅びない、でもさまざまな魚がウヨウヨ、船舶の騒音やら廃棄物で汚れる、やっぱりあまり気乗りはいたしません。やっぱり、人間が登って来られない山になりたいです!
前の10件 | -