SSブログ

シベリア鉄道 [blog]



  大河ドラマ、今回はどうも低調なようである。

 
      それでも、癖になっているので、時間がくるとチャンネルを変える。


  遂にストックホルムに向けて、主人公が日本を離れ,シベリア鉄道の


     乗客となる。



  




     そこでワタシの頭の中で、スイッチが切り替わってしまった。


    74年前、4才になったばかりの自分が、母と2人でシベリア鉄道に揺られて



  モスクワまで旅した過去の世界に。



   敦賀からウラジオストックまでは、船だったが、黒煙を吐く列車に



  2週間も乗ることになるとは、夢にも思わなかっただろう。記憶曖昧。


   
      金栗君たちと違い、立派なコンパートメントに母と二人、訳も分からず


    「汽車に乗れる~~」嬉しさの方が先立っていたかも知れない。


      母が一緒なら、恐いものなし!  だが、その母が不安と疲れが出た


  のか、体調を崩し医師や看護婦が出入りし始めてからは、様子も


    一変・・・いや、記憶は頼りない。食事は運んでくれたが、


    口もきかない母の顔を見れば、不安は募るばかりだった。


  ウロウロと食堂車近辺を歩いてみたり。珍しい、日本人の子供が


   乗っている、というんで、異国人はニコニコ話かけてくれ、



  「オッコーシュカ」という名前まで付けられて、すっかり人気者。



 恐怖はなく、ニコニコを返してはいたが、「お母さま、早く治って~~」



   「スタカン チャイ」(お茶を下さい) 「スパシーボ」(有難う)


 蚊のなくような声で、看護婦さんと交わした唯一のロシア語は忘れない。


     元来、丈夫な母は28才、点滴も取れて恢復、好奇心旺盛な人だったから


   積極的に部屋を出て、身振り手振りで顔見知りを作っていった。


   もう、大丈夫!!! 車窓を流れるシベリヤ原野の風景を眺めたり、


 下手な絵を描いて急ごしらえのオバサン友達にあげたり、歌を歌ったり。


   母に似てかなり積極的に動き回っていたらしい。



     シベリア鉄道が全線開通したのは、1916年、薪や石炭で燃料補給のため、


   よく停車していた。父が待つモスクワに向かって、シベリア鉄道の旅は


    自分にとって、忘れようにも忘れられない一生の1ページを飾って


    くれた。      初海外旅行だった、とも言えるだろうか?



      金栗さんたちのシベリア鉄道編を見て、急に別世界に飛んでしまった


    日曜日の夜だった。 1-111.jpg                                                          
 

nice!(49)  コメント(36) 
共通テーマ:日記・雑感