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ここいらで、一服! [日常、犬、時事問題、家族]



 丁度、30年前、不注意で膝の骨、真っ二つ!! 今は右足人工関節で、曲げることならず。

夢中で走り回っていたテニスもギブアップ、そんな時、兄の言葉。

「これからは、パソコンで遊べばいいよ」 これが、パソ君との出会いです。

 「ブログ, (weblog)を始めると、友達ができて面白いし、楽しいですよ」

全過程を終えて、先生が一言。以来、2173記事を書いて来ました。確かにブロ友も増え、顔を

合わせたりもしました。

それが最近は、間隔も空くようになり・・・年には勝てませんね。

ここから今日の記事。

「屯田兵」という言葉をご存知の方は、もうすくないでしょうねぇ。

北海道は石狩川と、雨竜川に挟まれた雨竜原野のこの辺り、一面に屯田兵が初めて入植したのは

明治28年、ざっと数えて役100年前である。

今でこそ、北海道の穀倉地帯と言われるこの土地も、入植当時は、柏やヤチダモ、ブナなどの大木が

樹海のように広がる原生林だった。

夜は電気もなく、酷寒の冬ともなれば、粗末な屯田兵屋には雪が容赦なく吹き込んで、掛布団の襟が

ガチガチに凍ったという。


その第一期の屯田兵の中に、愛知県から両親と共に入植し、新天地を目指した父方の祖父がいた。

開墾と、屯田兵としての訓練としての訓練と、休む暇もなく働き続けた祖父は、日露戦争に従軍し、

帰還後は地区の班長をつとめるなど、真面目で優秀な人であったらしい。

明治34年、父は六男三女の長男として屯田兵屋で産声をあげた。木造平屋建て、20坪の家で育った

父の少年時代も、遊びに耽ることもなく、畑に落ちた玉蜀黍や小豆を拾って食事の足しにするのが

楽しかったという。

屯田兵村の教育方針は、当然のことながら、軍人精神を基本としたもの。その祖父の期待に応えて、

父は幼年学校・士官学校、陸軍大学とトントン拍子で進んで、夢にまで見た職業軍人になった。

家督は弟に譲って・・・。

勧める人があって、母と見合い。母の父も職業軍人だった。

屯田兵屋で育った父と、専門学校まで出た都会育ちの母、年を経るに従って微妙なズレがあることを、

幼い私でも感じて取れた。


音もなく降る細かい雨が、足元から這い上がって来ては、蜘蛛の糸のように纏わりつく。

また、花を買ってくるのを忘れてしまった。

ぬかった細い道を降りていく。右手の柵の奥に、土産馬(道産子が2頭、霧雨に煙って影のように

佇んでいる。坂道を下りきると左右に緑色の絨毯を敷き詰めたように水田が広がる。そのあぜ道が

切れる所に、唐突に幾つかのお墓が現れる、手入れが行き届いたのもあれば、墓石が崩れ落ちたり

しているのもある。

土地の人が「屯田墓」と呼ぶ屯田兵の聖域である。

「お母さん、あのお墓にだけは入りたくない!」折に触れて、母の口から出る言葉だった。


切実で、思い詰めたような表情、兄とて感じないわけはない。

「あのままじゃ、お母さんも気の毒だ、浮かばれないよ、分骨して東京に持ち帰ろう」

某年前、母は青山墓地に分骨埋葬され、母のあの涙ぐみながらの辛さを、もう感じなくて済む。

先日、青山墓地にて、心からの祈りをささげてきた。



さてさて、ブログ始めて30年近く、そろそろ、止めようか? でも書きたい!

これからは、ごくごく、不定期に投稿致します。 お見捨てなく・・・面白い話題などに触れ

た時などに。今年は藤の咲き方が、例年より早いそうです。


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Baldhead1010

さすがokkoさんの流麗な文章です。

今、右手首の腱鞘炎で自分の手の甲をよく見るんですが、昔子供の頃、祖母の手の甲をつまんで「おばあちゃんの甲の皺、なかなか元に戻らんねぇ」となんどもなんども面白がって遊んだことを思い出しました。
自分の手の甲も今はそんな様相を呈し始めています。
自分のブログも不定期になってきました。が、カメラがあるうち、使えるうちはアップして行きたいと思います。
okkoさんも気長に・・・。
by Baldhead1010 (2023-04-25 16:26) 

トモミ

不定期掲載、大いに結構かと!どうかお気楽に(笑)!!

父方の祖先は北海道で学校の先生をしていたらしいです…



by トモミ (2023-04-25 16:41) 

みち

母の生まれは北方領土。。。北海道の開拓者だったようです。
本当の祖父は戦死、祖母は再婚したものの貧乏生活で大変だったようです。
あまり詳しくは話してもらえていないのですけれど。
by みち (2023-04-25 17:56) 

斗夢

わたしが生まれたところは東北の片田舎。百姓。
勿論、家系図なんてありません。
先祖は、戒名も名前も彫られておらず、小さな板状の墓石に
刻まれた没年から推測するに、約300年前にどこからか流れてきて
土着したようです。
by 斗夢 (2023-04-25 20:28) 

koto

体調不良の私もご無沙汰ばかりです。

by koto (2023-04-25 20:36) 

夏炉冬扇

流れますね、時は。
明日は思わず、今日の1日。
by 夏炉冬扇 (2023-04-25 20:47) 

エンジェル

ブログは無理をせず気ままに書くのが一番です!!
30年も続けられて素晴らしい✨
私も後に続きたいですが、まだ13年です(^^;
by エンジェル (2023-04-25 23:21) 

めぎ

屯田兵、懐かしいことばです。
そう言えば屯田と言う地名も残っていたような。
by めぎ (2023-04-26 04:54) 

さる1号

ブログ歴30年、凄いなぁ
生き字引ですね
噂に聞くソネブロ初期の不安定さも経験されたのかな
by さる1号 (2023-04-26 06:25) 

Rinko

okkoさんの美しい日本語と、流れるような文章をこれからも楽しみにしています!^^
by Rinko (2023-04-26 07:48) 

たいへー

きっかけはどうあれ、長く続いているのだから合ってるんでしょう。
父親が満州でソ連行のビールを盗み飲みして、
自分のおしっこを詰めて送ったという話は聞きました。^^;

by たいへー (2023-04-26 08:58) 

Take-Zee

おはようございます!
屯田兵知らない人が多いでしょうね。
北海道には”屯田”とい有りました有りました (^_^)!

by Take-Zee (2023-04-26 10:03) 

okko

書く方は不定期ですが、皆さまのブログは毎日、訪問しております。

*Baldhead1010さん
ありがとうございます。

腱鞘炎は痛みますねぇ。気長がにお大事に治してください。
オバアチャンの手の甲をつまんで「富士山が出来た~」って遊んでいたのを思い出しました。甲の腱鞘炎はお痛みのことでしょう。想像が出来ません。宝物、そのまま大切に致します。

*トモミ先生
分かりました、のんびりと参ります。

北海道の歴史は、アイヌ民族を理解しなければ中途半端とか、目下、「アイヌ民族」なる分厚い書物を読んでいます。

*みちさん
北方領土っていうことは?北海道本島ではないってことですか?

国後とか択捉島とか??ソ連に無理やり所有権を奪われて。
それは大変ですねぇ。いずれにしても、豊かな生活は期待できなかったでしょうね~
by okko (2023-04-26 12:12) 

OJJ

屯田兵という言葉は知ってまっせ~蝦夷地の開拓防衛に云々(習ったのか物好きな先生のお話だったのか存じませんが)播州の土着民:私がソネ風呂でokkoさんの御尊名を知ったころは貴女は天上の星のように仰ぎ見るだけの別世界のお方でした。その描写力はプロ顔負けとか・・知らんけど。まあ元気が何よりでっせ~
by OJJ (2023-04-26 13:25) 

okko

*OJJさん
相変わらず口悪いのう~~。「知らんけど」がよろしゅうない。
まあ、お互い似たようなもんや、許したるわ。
by okko (2023-04-26 14:33) 

向日葵

うちも元々は北からやって来たみたいです。
越後辺り・・らしいです。
もうお江戸に居ついて4代目にはなるようですが。
ブログはお気持ちが向かれた時に。。
それが一番良いですね。
義務感からやっていたら楽しくなくなってしまいますし。。
ワタクシは母が倒れる少し前から始めましたので、16-7年かな?
okkoさんの約半分ですね。

by 向日葵 (2023-04-27 03:02) 

mm

おはようございます^^
okkoさんのお父上は明治34年生まれ? わが父は一つ下、明治35年生まれでした^^ 父は帝大出て普通にサラリーマン。
舅は明治39年生まれで、職業軍人でした。
お母様も青山に眠られて、ほっとなさったことでしょうね^^
by mm (2023-04-27 06:58) 

okko

*向日葵さん
別ににね、義務って言葉では表現できないんですよ。暇を持て余しているのですから。ただ何となく、今日はブログの日だ、って可笑しなことを考えて。

*mmさん
職業軍人の家に生まれると、いろいろ厳しかったです。なんだか、「お父様」って甘えられない雰囲気があって。
終戦時は、済州島にいました。戦後の父は無職、でも慕って下さる部下の方の要請もあって、戦後、最初のボーリング場を青山に。
ハイ、母ももう満足でしょう。
by okko (2023-04-27 16:10) 

Take-Zee

こんにちは!
変換ミスでおかしなコメントになってました・・・
北海道に行ったとき”屯田”という居酒屋が
ありましたとお伝えしたかったんです (^_^)!

by Take-Zee (2023-04-28 08:33) 

お散歩爺

30年前膝の骨折、パソコンとブログの出逢い、お母様の涙の声。
そしてご先祖様の屯田兵時代の苦節、昔を思うと想い出は泉の如し、ですね。
by お散歩爺 (2023-04-28 08:47) 

kuwachan

ブログ歴30年は凄いですね。大先輩です!
私はまだ半分程度ですから(^^ゞ
友人から勧められて始めましたがよかったなと思っています。
先日はあれは一体いつのことだったか?とブログで調べました(笑)
by kuwachan (2023-04-28 10:41) 

okko

Take-Geeさん
分かっておりましたよ。ワタシもよくやるから・・・

*お散歩爺さん
敢えて「おかげで」と言いたいです。骨折騒ぎがなかったら、パソコンとのご縁もなかったでしょう。

*kuwachanさん
よき友人を持たれてよかったこと!
まだまだ、テニスに夢中になっていたでしょう。年と共に、それができなくなっていたら・・・ああ、考えただけで寒気がします。これからも仲良くしてください。
by okko (2023-04-29 14:30) 

ツツピーツツピー

30年は凄すぎます!
書きたい時に書く!そうして何時までも書き続けて欲しいです^^
by ツツピーツツピー (2023-05-07 14:32) 

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