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まだ「芸者」? [随筆]

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この美しい教会は、1937年から、4年間、過ごしたフィンランドはヘルシンキ。

当時、フィンランドは現在のウクライナ問題同様に、ソ連に国土の南部を削り取られた

状態。北欧3国、ドイツを味方にそれ以上の侵攻を防ぐ必要があった・・とか、

詳しいことは4歳の自分には知る由もなく・・。ただ軍人だった父はそれに関連した

任務について、ヘルシンキへ転勤。母と私は一足遅れて、シベリア鉄道に2週間揺られて

遥々、北の国の住人になりました。


父の任務はかなり重要なものだったようで、帰国後、フィンランドについて薄い冊子を

か書きました。どういう巡り合わせか、フィンランド人の目に留まり、翻訳して出版

したいという話が飛び込んできた、ただ、妻子については一言も書いてないので、

是非、奥さまとお嬢様(ワタシのことよ)のお話し、お写真etc,資料が欲しい・・・


で、昨週の火曜日は、フィンランド在住中の、母の写真やら、書類、本など、

あちこちひっくり返して、フィンランド大使館を訪問しました。


母はフィンランド大学の合唱団の要請で、大胆にも日本国歌は勿論、当時流行って居た

歌など教えていました。 可愛い??4歳のokkoさんは、ドイツ人経営の幼稚園へ、

帰れば近所の子どもと、仲良しになりフィンランド語もペラペラ??

綺麗なおべべを着せられて、フィンランド人が催すパーティーにも、

「okko
を連れて来なくちゃだめ!」何しろたった1人ですからね、猿回しの猿役や。


で、何を書きたいかと言うと、「今日は本当に有益な話をたくさん聞かせてくださって、

ありがとう。ホンのお礼の気持ち・・・」にと、貫禄ある武官から手渡されたのが

マリメッコの携帯傘とチョコレート。なんと、そのチョコの名前が・・


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「芸者」!これには驚きましたね~。日本はまだこの程度にしか理解されていないのか、

チョコは美味しいけれど、自分の国が外国でどの程度、知られているのか、

現代の日本を知らせなければならない義務を、これからの世代に自覚して貰いたい!


話したこと、写真等々もフィンランド語に訳される父の本に載せられることになって

います。

以上、話は弾みましたが、最後の「芸者」でガクン!の火曜日でした。つまらぬブログで

済みません、いえ、毎度のことで。

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