ニックネーム、お持ちでしたか?
先日、久しぶりに学生時代の友達から電話がありました。
「オツ、久しぶり、お元気??」
懐かしい昔のニックネームで呼ばれて、ひどく感激しました。
ハンドルネームのokkoも、それに近いのですけれど。昔から、オツ、オツと兄にも呼ばれていました。
一番最初のニックネームです。小・中学時代は戦争真っ只中、ニックネームとは縁のない時期でした。
高校生になった時、「スーツ」と言うニックネームが私を待っていました。
セーラー服を持っていなかったので、母お手製の紺のスーツ姿で登校、余程、目立ったのでしょうか
別に嫌がらせ気分でもなく、「スーツ」をすんなりと受け入れることができました。
先生までもが、「スーツさん、次の文章、読んでください」でしたから、和気藹々のニッネームだったことは確かです。
大学を卒業して就職、自分が作成した文書には、苗字と名前を二文字のアルファベットで署名すること、という決まりがあり、苗字を略して「K・T 」とサイン。みんなに「ケティ-さん」と呼ばれる羽目になってしまいました。
「ケティ-さんって、2世なんですか??」 新入社員に言われたほろ苦い経験もありました。
最後に頂いたのは、「ゴボウちゃん」 そうです、野菜の牛蒡です。
結婚して、二児にも恵まれ、彼らが小学生、手も掛からなくなった頃から、殆ど毎日のように通い詰めたのが、テニスコートでした。手入れの行き届いたクレーコートで、いい汗をかきました!
その代り、日焼けもすさまじく、サンバイザーを被っていたも、手、腕、脚は真っ黒に日焼け、取り分け、短いスコートの下から丸出しの脚はコンガリを通り越して、真っ黒に・・
そうです、牛蒡を連想させる程になってしまいました。誰言うとなく、「ゴボウちゃん」と呼ばれるように。今、この年になって、色白になっても??偶然、出先で当時のお仲間に会うと、
「あら、ゴボウちゃん、お元気??」大きな声で呼びかけられるのには、閉口しています。
アナタはどんなニックネームで呼ばれていらっしゃいましたか??
親の遺伝子、受け継いでますか?
ご両親の遺伝子、受け継いでおられますか??
私の場合は、母の遺伝子を強く受け継いでいるように思います。
それも、あまり良い面ではなく。
第二次世界大戦後、職業軍人だった父は、運に恵まれて、103才の長寿を全うしましたが、母の方は
不運続き、50代半ばで胃癌が発見され、全摘手術を受けて以来、胆石手術etc、まるで疫病神に取り付かれたように病院を出たり入ったりの晩年でした。
足袋のこはぜを嵌めようとして、椅子から転落、大腿骨骨折してからは寝たきりの状態、最後は
錯乱状態に陥り、83才で息を引き取りました。
「自分のベットで死にたい」「梅の花を見てから死にたい」
白梅の開花を確かめて、自分のベットで・・どちらも思い通りに運んで満足だったでしょう。
私も病歴の方では、しっかりと母の遺伝子を受け継いでいるようです。
胃癌で胃は三分の一になり、不注意からとは言え、転んで膝のお皿真っ二つ、身障者のお仲間いり。
こちらは乳癌の手術と、おまけまで付いて( ^ω^)・・・
母と同じく、自分のベットで息を引き取りたいと思っていますが、どうなりますことやら。
ケ・セラ・セラです。
病歴だけではなく、可笑しな遺伝子も母から受け継ぎました。
最後を迎える前、母の顔をマジマジと見つめていると、顎に細い髭?が一本、ユラユラと・・
そして今、私の顎にも同じように細い髭が一本!!!
切り落とす気は毛頭ありません、母が見ているような気がして・・。
2月21日、間もなく命日を迎えます。
あなたは、親御さまの遺伝子を顕著に受け継いでおられますか??
今日は何の日?
降りましたよ~~!
降りましたよ~~、雪が! 騒ぐでない!と叱られそうですけれど、雪と雨だけならば、まだ驚かないのに、雷さんまで仲間入り、その賑やかな事と言ったら・・一晩、まんじりともせず睡眠不足になりました。
明けて昨日の朝、外は一面の雪景色・・・と言っても、積雪7センチ程でしかありませんでしたけれど。豪雪地帯でお暮しの方たちから見たら、笑われてしまいますね。
つい最近までは、雪ウサギを作ったりしたものですけれど、流石にもうその気にはなれず・・。
二階に住む長男が、綺麗に雪搔きをしてくれました。交通網も影響を受け、アチコチで電車が不通に
なったり・・・東京という大都会、雪にはその脆さを露呈した感じです。
大人しく一歩も外には出ずに過ごしました。
画像が大きすぎたかな、玄関先から写しました。
いつの間にやら・・・ [日常、犬、時事問題、家族]
1月も末の31日に、91才の誕生日を向かえました。目出度くもあり、目出度くもなしの心境です。
2人の息子、それぞれに祝ってくれて、有難いことでした。
身障者ですが、自分のことは全て1人で出来ますし、あまり実感はありませんが、きっと目に見えない
ところで、ガタが進んでいることでしょう。
父が103才まで長生きしましたから、血統を受け継いでいるのかも。
父は職業軍人でしたから、体調を崩して入院したとき、輸血をすれば助かると言われたのに、
「戦場で、沢山の血を流したのを見ている、もう他人様の血を頂いてまで生き延びる気持ちはない。
その代わり、毎日の食事を減らしていって貰いたい」
病院側は、その願いを聞き入れてくれ、最後は鳥の餌みたいなものを・・・・。
あっぱれ、自然死を遂げました。
私もその手で行きたいと思います。最後に「みなさん、サヨナラ、サヨナラ~~~!」とブログを
閉じて・・カッコイイ~~~ッ!
何をバカなことを書いていることか・・・。
取り敢えず、今しばらく、お付き合いのほど、隅から隅まで、おん願い奉ります!
自由の女神のように、自由に生きましょう。